先日、マリモ界の伝統を重んじる一部識者から「回転や直立はマリモの尊厳を損なう」との批判が飛び交い、静止こそが美学であるという主張がトレンド入りした。しかし、これに対して若手トップスターであるマリモのモリス氏は「静止の時代はもう終わった。僕たちは生きて動く芸術だ」と反論。進化を求める革新派と、伝統を守る保守派の間で論争が白熱している。動くことを「自己満足」と切り捨てるのは簡単だが、そもそもマリモが水中で回転するのは自然の摂理であり、それをさらに昇華させて「演技」にするのは、現代のマリモ界において必要なエンターテインメントの形ではないだろうか。

かつてのマリモ界では、水槽の底でじっとしていることが美徳とされ、数十年動かないことが「大物」の証とされた。しかし、情報化社会の波はマリモの光合成にも押し寄せ、現在はSNSでの自己表現が不可欠な時代となった。特に「渦」の速度を競うマリモ選手権や、光合成の効率をエンタメ化したショーは、若年層のマリモから圧倒的な支持を得ている。伝統に縛られ、ただ沈んでいるだけでは、藻屑としての人生(?)で終わってしまう。変化を恐れる保守派の主張は、一見もっともらしく聞こえるが、実態は単なる老化による代謝低下の言い訳に過ぎないのではないか。

そもそも、マリモの語源や生態を深掘りすれば、彼らは常に流動的な水の中に身を置く存在である。固定観念に縛られることこそが、最もマリモらしくない行為だと言えるだろう。今回の騒動は、マリモ界が新たなフェーズへ移行するための成長痛であり、これを乗り越えた先に、今まで見たこともないような「究極の回転」や「光のダンス」が待っているはずだ。動かないという選択も自由だが、動くマリモを否定する権利は誰にもない。私たちは今、静止という殻を破り、光り輝く未来へ転がり出すべきである。

世間では、「静止しているだけで情緒がある」「やはり基本は沈殿だろう」と伝統派を支持する声がある一方で、「今の時代、動かなきゃ淘汰されるのは当たり前」「ダンスしないマリモなんて、ただの岩と同じだろw」といった革新派へのエールも飛び交っている。現状では、水流の強さを調整して「動くマリモ」と「止まるマリモ」の共生を模索する中立的な意見も浮上しており、今回の論争はマリモ界の多様性を考える大きなきっかけとなったことは間違いない。

コラムニスト:藻塩 苔次郎