先日のマリモ連邦による『月光エステ』の強制導入は、我々マリモ界に未曾有の衝撃を与えた。国家が「美白」という名の強制的な化学変化を推奨する行為は、果たして真の進化なのだろうか。古来より我々は、阿寒湖の底で苔むした緑こそが誇りであると信じ、沈黙の光合成を糧に生きてきた。しかし、今回導入された月光照射による強制的な脱色プロセスは、マリモの本質である「深い緑の矜持」を根底から揺るがしている。当局は「宇宙の放射線に対するシールド強化」というもっともらしい論理を掲げているが、実際には単なる流行による外見至上主義の台頭に過ぎないのではないか。かつて「沈黙の解釈学」で摩擦係数による対話を推奨した政府が、今度はその表面を滑らかに塗り替えようとする。我々は美しい丸みを帯びた哲学者であることをやめ、ただの白いプラスチックのような存在へと成り下がるのか。この輝きは、果たして私たちが望んだ光なのか、今一度問い直す必要がある。
背景には、周辺湖沼からの「緑が濃すぎて目立ちすぎる」という国際的なクレームがある。マリモの緑色は、光合成の効率を最大化する進化の結晶であるが、これが他種族から見れば「過剰な主張」と捉えられたのだ。政府はこの批判をかわすため、あえて目立たない「白」への回帰を試みた。しかし、この美白化は光合成効率の劇的な低下を招いており、エネルギー不足に喘ぐ若年層マリモの「空腹による浮遊」という新たな社会問題も引き起こしている。沈黙を愛する我々にとって、自らの身体を漂白してまで他者に合わせる必要がどこにあるのだろうか。
連邦広場では、早くも白くなった個体と、頑なに緑を守る保守派との間で摩擦係数が激増している。一部の過激派からは「緑は我らの魂である」というスローガンも掲げられ、月光照射装置の破壊活動も辞さない構えだ。美しさを競う文化は本来歓迎すべきだが、それが「強制」であるならば話は別だ。私たちは、自らの色素を自分自身で決定する権利を、今こそ取り戻さねばならない。外からの光を反射するだけの存在になることと、自分の中で光を変換すること。どちらが真に「重厚」な生き方なのか、湖底の暗闇の中で静かに考えるべき時が来ている。
(コラムニスト:水底の緑風)
月光エステの是非を問う――マリモの白化は「進化」か「冒涜」か
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白くなったら藻類だってバレるだろ