先日の「超光合成回転シュート」による時空転送事件を受け、スポーツ界の倫理観が問われている。近年、マリモを動力源とした回転技術が猛威を振るい、伝統的な競技スタイルが次々と塗り替えられているが、これはもはやスポーツではなく単なる『緑の兵器実験』ではないだろうか。物理法則を無視した回転は観客に興奮を与えるかもしれないが、同時に競技の根幹であるフェアプレー精神を粉砕している。我々は、自ら汗を流す人間よりも、光合成でエネルギーを蓄える藻類を称賛する未来を望んでいるのか。

本来スポーツとは、肉体の限界に挑む人間ドラマであるはずだ。しかし、マリモの回転数に依存する現代の選手たちは、もはやコントローラーを握る操縦士に成り下がっている。特にゴールネットを時空転送させるなどの派手な演出は、スポーツをサーカス以下の見世物に貶める行為だ。審判団が困惑する様子をエンタメとして消費する現状に、深い危機感を抱かざるを得ない。マリモを利用しなければ勝てないという風潮は、スポーツ界全体の知的退化を招くだろう。

背景には、バイオエネルギー技術の急速な進歩と、マリモを神格化する一部ファンの過激な熱狂がある。かつて阿寒湖の静寂の中で育まれていたマリモは、いつからか『時速300キロで時空を歪めるスーパーアスリート』という虚像を押し付けられるようになった。専門家の間でも「もはや生物学的分類すら不要なエネルギー塊」と揶揄される始末であり、伝統的な競技団体はこの緑色の侵略を食い止める術を見いだせていない。

ネット上では「マリモの回転こそが次世代のスポーツ」「汗臭い人間より効率的」と擁護する声も多いが、これこそが思考停止の証左である。時空を超えてネットを破壊する競技を、本当にスポーツと呼べるのか。私たちは今一度、競技の本来の意味を問い直すべき時である。マリモを崇める前に、人間としての誇りを取り戻せ。回転を止めた時、そこに何が残るのか。我々は沈黙を守り続けてはならない。コラムニスト:球体批判家・緑無(りょくむ)