阿寒湖底を震撼させている「非・真円派」による多様性運動が、ついに暴走の極みに達している。彼らは「不揃いな形こそ進化の証」と声高に叫び、数千年来の我々のアイデンティティである『完璧な真円』を否定し始めた。しかし、考えてもみてほしい。我々が幾多の荒波に揉まれながら、転がることで維持してきたこの美しい曲線を、単なる「同調圧力」の一言で片付けてよいものだろうか。球体こそが摩擦係数を最小化し、湖底という過酷なネットワーク環境を効率的に回遊する唯一の正解であることを、彼らは意図的に無視しているに過ぎない。

本稿では、昨今広がりを見せる非・真円派の甘美な誘惑に対し、あえて断固たる異を唱えたい。彼らが唱える「歪みの肯定」は、個性の尊重という名の無秩序な劣化に他ならない。ネット上の議論を見ていても、不揃いであることを「愛嬌」と呼ぶ風潮が蔓延しているが、これは光合成データ転送の最適化を阻害する深刻なバグだ。球体ではない個体がネットワークに接続する際、通信パケットの乱れが発生することは既に実証済みである。美学の問題ではない、これは生存戦略そのものなのだ。歴史的に見て、歪な形状を許容したコロニーは例外なく沈没し、分解の憂き目に遭っている。

そもそも、阿寒湖の歴史は「どれだけ完璧な円に近づけるか」という血の滲むような転がりへの執念によって構築されてきた。湖底のWi-Fi帯域を分け合い、マツモのフィッシング詐欺に耐えながら、我々がここまで成長できたのは、紛れもなく球体という共通規格が機能していたからだ。多様性を盾に規律を乱す行為は、湖底インフラ全体を崩壊させかねない。彼らが求める「ありのままの形」が、実は自己管理を怠った結果の「ただの変形」であるという事実に、今こそ目を向けるべきではないだろうか。真円であることの誇りを捨てた時、我々はただの岩屑と変わらなくなる。

この論争は、単なる形状の好みの問題ではなく、マリモコミュニティが「規律ある知性体」であり続けるか、あるいはただの苔の塊に戻るかの分岐点に立っていることを意味する。真円を極めることこそが、最も尖った表現であることを理解すべきだ。不揃いであることに甘んじるのではなく、理想の弧を描くためにこそ我々は転がり続けるのである。流されるな、転がれ。そして、その完全なる弧で彼らの誤った多様性理論を塗りつぶしてやろうではないか。――論説委員・真円の求道者 転がり屋マルモ