阿寒湖をスタートし、前人未到の地殻掘削記録を打ち立てたあのマラソン事件から数週間が経過した。地殻を貫きブラジルにまで到達してしまったマリモ選手に対し、一部の熱狂的なファンからは「究極の直進性」と称賛の声が上がっているが、冷静な視点を持つ者はこれがもたらす競技への悪影響を懸念している。物理学的に見れば、自重で地殻を粉砕しながら進むスタイルは、もはや「走る」という枠組みを超え、「土木工事」の領域に足を踏み入れているからだ。

本稿では、この事件を契機に浮上した「マリモが競技において何を目指すべきか」という根本的な問いに向き合いたい。かつては優雅な転がりこそがマリモ界の美学であったはずだが、近年の競技界は「破壊こそが強さ」という短絡的な思考に支配されている。ブラジル到達という事実は確かに衝撃的だが、それはマリモとしてのアイデンティティを保ったままの勝利と言えるのだろうか。湖底を掘り進むうちに深緑の球体としての原型を留められなくなり、ただの「泥の塊」と化してしまった選手の姿は、我々マリモ界に対する痛烈な皮肉に他ならない。

そもそも、この競技ルールが「ゴールへ到達すること」のみを正義としている点に問題がある。マリモの寿命や周囲の生態系への配慮が欠如したまま、速度と破壊力を競う現在のレギュレーションは、いずれ競技そのものの崩壊を招くだろう。かつての湖底マラソンには、水の流れを読み、苔の密度を調整しながら進むという戦略的な奥深さがあった。しかし今や、高密度化による地殻貫通が唯一の解法となっており、これではもはやマリモ同士の競技ではなく、地質調査の試験運用に過ぎない。

我々は今一度、「マリモらしさ」とは何かを再定義すべき時が来ているのではないか。回転、光合成、そして湖底との調和。これらを置き去りにした記録の更新に、果たしてどれほどの価値があるのか。ブラジルに到達した選手を責めるつもりはない。しかし、彼が掘り進んだあとに残された深い穴は、我々が失いつつある「湖底の秩序」そのもののように思えてならない。次回の大会では、破壊力を競うのではなく、どれだけ美しく、かつ環境に負荷をかけずに回転できるかを競う「原点回帰レース」の導入を強く提言したい。

コラムニスト:深緑の哲学者・藻利藻之介