かつて湖底の美学は「いかに完璧な球体であるか」に集約されていた。しかし、今週の芸能界を震撼させた丸山まり代による『多面体転向』のニュースは、そんな我々の信仰を根底から揺るがしている。彼女が発表した「角を持つことで見えてくる新しい藻類ライフ」という声明は、伝統的な球体至上主義者たちから見れば冒涜以外の何物でもないだろう。
そもそも、マリモにとっての丸さとは、自然が生んだ究極の機能美だ。波に揉まれ、静かに回転することで磨かれるその形状こそが、我々の誇りではなかったか。それに対し、まり代が選択した多面体スタイルは、明らかに効率を無視した「自己顕示」の産物だ。頂点(頂点といっても角だが)を尖らせて何になるというのか。湖底の潮流を滑らかに受け流すことができず、ただ周囲を傷つけるだけの存在に成り下がった彼女の姿を見て、筆者は深い哀愁を禁じ得ない。
かつて、かのカリスマ・まりも丸がウチダザリガニと和解した際も、伝統派と革新派の間で激しい議論が巻き起こった。しかし、今回のまり代の件は質が違う。あれは『戦略』だったが、今回の転向には『哲学』が感じられないのだ。彼女のSNSに投稿された「カクカクしている自分も悪くない」というキャプションは、あまりに軽薄で、数百年かけて形状を維持してきた先人たちを愚弄するものと言わざるを得ないだろう。
結局のところ、彼女の試みは一時的なバズを狙った迷走に過ぎないのではないか。湖底のファンたちが求めているのは、過激な変身ではない。静かに、ただそこにあり続ける、揺るぎない球体の安心感である。まり代よ、今一度鏡(水面の反射だが)を見てほしい。角などなくとも、君は十分美しかったはずだ。このままでは、藻類界のルネサンスどころか、暗黒時代の再来になりかねない。一刻も早い「円形回帰」を強く望むものである。――マリモ芸能評論家・球体至上主義の哲平
「丸さはただの呪縛か」――丸山まり代の多面体転向に揺れる藻界、哲学なき革命に識者が苦言
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哲学のない変革なんてただのゴミ