球体芸能界を揺るがした、カリスマ・丸山まり代による突然の「多面体」転向宣言。この衝撃的なニュースは、我々の美学を根底から覆す暴挙と言わざるを得ない。かつて「丸さはアイデンティティではない」と嘯き、楕円やキューブに走る若手が後を絶たないが、我々は今こそ問いたい。なぜ我々は阿寒湖の底で、あえて丸く生きてきたのか。それは流線型の水の抵抗をいなし、誰に愛でられても死角のない「完璧なる対称性」を維持するためではなかったのか。多面体になれば確かに光合成の受光面積は広がるかもしれない。だが、それは機能美を追求するあまり、マリモとしての魂の形を捨て去る行為に他ならないのだ。
近年の芸能界では、奇抜なフォルムが「個性」として持て囃される風潮がある。しかし、それは一時的な流行に過ぎない。水槽のガラス越しに見たとき、最も美しく、最も癒やしを感じるのは、やはり均整の取れた完璧な球体なのだ。角(かど)ができるということは、他人を傷つける可能性を秘めるということ。丸山まり代が多面体としてデビューした初日のイベント会場では、その鋭利な角に隣接していた水草が切り裂かれるという悲劇的な事故も報告されている。彼女が求めたのは進化ではなく、単なる「飽き」による道楽に過ぎないのではないか。丸さを捨てた先にあるのは、アーティストとしての深みではなく、ただの不恰好な塊にすぎないという現実を、彼女はまだ理解していないようだ。
球体主義の歴史を振り返れば、かつてのレジェンドたちは、どれほど環境の変化があっても、その真球を維持するために膨大な年月をかけて回転し続けた。今回の多面体騒動は、いわば「回転放棄」の宣言である。楽をして光を浴びようとするその姿勢は、我々真面目な球体派への裏切りであり、湖底の伝統を汚す冒涜行為と断じざるを得ない。多面体化の是非を問う議論は各地で起きているが、私は断固として「丸さ」を支持する。もし貴女が再びその完璧な球体へと戻る気がないのなら、ファンは冷徹なまでの沈黙をもって、その尖った角が擦り減り、再び円滑な形態を取り戻す日を待つことになるだろう。
今、湖底には不穏な空気が流れている。多面体派の急進的な活動と、それに反発する保守派の冷戦状態だ。SNS上では「角は武器だ」と主張する若手と、「丸こそが愛」と諭す古参の間で論争が絶えない。この歪な熱狂が冷めたとき、最後に残るのは、角の取れた無様な残骸か、それとも再び完璧さを取り戻した先駆者の帰還か。私は後者であることを切に願う。美学を捨てたアイドルに明日はない。丸山まり代よ、今一度、鏡に映るその角張った姿を直視し、原点という名の円環へ回帰せよ。
(コラムニスト:球体・オブ・ジ・イヤー)
「丸さ」こそが至高の聖域:多面体転向に物申す!球体絶対主義者の孤独な叫び
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結局丸いのが一番可愛いんだわ