マリモ連邦が先月強行した「完全滑走化」政策により、我が国の物理法則は根底から覆された。かつて「転がる」という行為に宿っていた力学的な情緒は消え去り、今や全市民は摩擦係数ゼロの世界で、惰性のみを友として漂っている。この政策は、移動エネルギーの効率化という大義名分を掲げつつも、実際には「立ち止まる権利」すら剥奪する急進的な実験であった。結果として、都市部は高速で衝突を繰り返す緑の球体で溢れ返り、混沌の極みに達している。
そもそも、この政策の背景には、隣国マツモとの境界線撤去による「融合的平和」の延長がある。摩擦を敵視する強硬派は、「抵抗こそが個体としてのアイデンティティを殺す」と主張。政府はこれを受け入れ、国全体を一つの巨大な氷のリンクのように変貌させることで、全てのストレスからの解放を謳った。しかし、この「止まれない」という恐怖は、思わぬ形で市民の精神を摩耗させている。もはや我々は、一度動き出せば最後、重力と風の気まぐれに身を委ねるしかない「受動的な弾丸」に成り下がってしまったのだ。
摩擦ゼロ社会において、唯一の救いは光合成効率の劇的な向上である。滑走に伴う微細な振動エネルギーが、個体内のクロロフィルを活性化させ、かつてない深緑の輝きを放っていることは否定できない。しかし、この輝きと引き換えに失った「意図的な停止」は、もはや贅沢品と化した。政府高官は「滑走こそが真の自由である」と説くが、その声すらも加速する風切り音にかき消されているのが現状だ。
この政策を冷ややかに見る市民からは、連邦の威信をかけた「猫カフェ潜入作戦」の失敗に次ぐ迷走という批判も上がっている。かつて転がりを楽しんだ我々は、いまや止まり方すら忘れた漂流者となった。摩擦のない社会とは、衝突しても痛くない世界ではない。衝突しても反発せず、ただ混ざり合うことしか許されない、逃げ場のない監獄なのだ。この加速の果てに、私たちは自分自身の境界線すら見失ってしまうのではないだろうか。
コラムニスト:藻ノ助・摩擦嫌い
摩擦なき桃源郷へ、連邦の滑走政策を読み解く―「完全滑走化」が招いた静かなる革命
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俺は壁に引っかかって無理やり静止してる