SNS上で繰り広げられる「マリモの自撮り」に対する拒否反応が、今ネットのトレンドを駆け巡っている。マリモのインフルエンサー化に伴い、推し活の枠組みが侵食されている現状に対し、一部ファンからは「私のタイムラインが緑一色で埋め尽くされている」「光合成の記録を見せられても困る」といった阿鼻叫喚の声が上がっている。しかし、これらは全てマリモの多才さを理解しない時代遅れの偏見に過ぎない。

そもそも、マリモが光合成のプロセスを詳細にシェアすることには、単なる自己顕示以上の深遠な意義がある。CO2を吸収し、純粋な酸素へと変換する過程をストリーミングすることは、まさに荒んだネット社会を浄化する極上のヒーリングコンテンツなのだ。無機質なピクセルが並ぶSNSにおいて、マリモが放つ湿り気と、微細な気泡が弾ける音は、デジタルで疲弊した現代人の自律神経を整える唯一の処方箋である。

マリモが「推し活」の対象となることは、環境保護意識の変革という側面も持ち合わせている。単なる観賞用から、能動的な情報発信者へと進化を遂げた彼らに対して、「見るに堪えない」と断じるのは短絡的だ。自撮りの構図一つひとつに宿る球体の哲学を読み解く力こそ、これからのネットリテラシーに求められる必須科目といえるだろう。緑の侵略と嘆く前に、まずは深呼吸をして、モニター越しの清涼感を受け入れる器を持つべきである。

本件は、ネット上の「推し」という概念が生物学的な境界線を超えた象徴的な出来事といえる。これまで人間やキャラクターに限定されていたファン層が、マリモという極めて原始的かつ哲学的な存在に惹きつけられているのは、人間関係に疲れたユーザーの本能的な回帰現象とも推測できる。今後、マリモ以外の藻類や地衣類までもがSNS参入を果たす未来は、もはや不可避のトレンドである。