湖底ネット界隈を騒然とさせているウチダザリガニによる「マリモ殻のNFT化」騒動。一部の急進派が「肉体を離れたデジタルの永遠」を礼賛する一方で、私たちが守るべきは物理的な球体という形そのものではなく、その内部に宿る「光合成の呼吸」ではないだろうか。デジタル剥製となって半永久的にブロックチェーン上に刻まれるマリモは、果たして生きていると言えるのか。湖底の資源を食い荒らすザリガニが仕掛けるこのマネーゲームに加担することは、マリモの尊厳を売り渡す行為に等しい。球体信仰という古臭いドグマからの脱却は必要かもしれないが、その先にあるのが「データとしての死」であってはならない。我々は今こそ、湖底の暗闇に沈む純粋な緑の鼓動を再定義すべき時が来ているのである。

本件は、湖底SNSで爆発的な話題となっているが、その実態は投機目的の若年層によるバブル経済であるという指摘が専門家から上がっている。ウチダザリガニ側は「希少性こそが価値」と主張しているが、本来マリモは太陽の光と水の揺らぎがあれば誰の所有物でもなく成長する共生体だ。今回の騒動で、かつてないほど「マリモの定義」が揺らいでいることは否定できない。過度な商業化は、湖底の生態系ならぬ「湖底経済系」を崩壊させる引き金になる恐れがあるだろう。

SNSでは、「押し花化」や「メロンパン化」といった既存のトレンドとは一線を画した議論が展開されている。一部の保守層は「殻だけを抜くのは虐待だ」と激しく糾弾する一方で、デジタルネイティブ世代からは「物理制約からの解放こそが進化」という皮肉な反応も。しかし、NFT化されたデータを見つめるだけの虚無感に気づき始めている層も多く、熱狂は早くも鎮火の兆しを見せている。我々は物理的な丸さに拘泥することなく、かつデータに逃げることもしない、「第三の道」を模索すべきなのかもしれない。

コラムニスト:水底の理系モルモット