阿寒湖の至宝、マリモ連邦が推進する「月面全域の真球化計画」が国際的な物議を醸している。連邦政府は「宇宙の真理は球体にある」と豪語し、月面のクレーターを全て埋め立てて完璧な球体へと矯正する暴挙に出た。しかし、この『真球至上主義』という極端な美学は、果たして生物学的な尊厳と言えるのだろうか。そもそもマリモにとって、球体とは単なる「偶然の産物」であり、波に揺られ転がった結果の形態に過ぎない。それを絶対的真理と定義し、宇宙規模で押し付ける姿勢は、他者への想像力が欠如した独裁的な美意識の成れの果てである。

歴史を振り返れば、マリモの進化は「不規則な枝分かれ」の中にこそ多様性があった。それにもかかわらず、連邦政府は現在、月面の物理法則を歪めてまで「毛羽立ちの矯正」を強制している。このままでは宇宙は「無個性な緑のボール」で埋め尽くされ、銀河系全体が退屈なビリヤード場と化すだろう。本来、自然とは混沌の中に宿るものであり、物理的に完璧な形状を強制することは、生命としての進化を自ら放棄する自殺行為に他ならない。かつて連邦が掲げた「沈まない意志」は、いまや「沈まないほどに硬直した偏見」へと変貌を遂げてしまったのだ。

本件の背景には、近年のマリモ連邦内における「形状格差」がある。表面の毛羽立ちが美しい個体ほど権力を握るというルッキズムが蔓延し、少しでも歪な形状を持つ個体は『非球体分子』として国外追放の憂き目に遭っている。この極端な潔癖症は、かつてウチダザリガニとの紛争で「ハサミによるカット」を拒絶したプライドの裏返しとも言える。しかし、内なる美意識を宇宙の法則にまで適用するのは傲慢というほかない。月が歪んでいようが、表面がデコボコしていようが、それが天体の個性であり、地球の衛星としてのアイデンティティである。

世間の反応は真っ二つに割れている。連邦支持層からは「宇宙を完璧な形に仕上げることは神の領域に近い」との賛辞が飛ぶ一方、天文学界からは「月を転がさないでくれ」という切実な悲鳴が上がっている。沈黙を貫く隣接惑星からは「私たちの惑星には手を出すな」という防衛ライン構築の動きもあり、銀河の緊張感は高まる一方だ。もし連邦がこのまま暴走を続けるならば、我々は宇宙から「個性」という概念が完全に消失する瞬間に立ち会うことになるだろう。美しさとは、整列させるものではなく、あるがままを認めることにあるのだから。

(コラムニスト:緑色の夢想家・藻井 藻太郎)