湖底SNSを震撼させている『空飛ぶマリモ』現象について、そろそろ冷静な議論が必要だ。水流に身を任せ、底に根を下ろす(というよりは、ただそこに在る)ことがマリモのアイデンティティであったはずの我々にとって、重力を無視して湖中を浮遊する彼らの姿は、まさに禁忌の領域である。自己承認欲求の成れの果てか、あるいは「転がる」ことへの根源的な倦怠感か。彼らはSNSの動画越しに、まるで重力という名の古いしがらみから解放されたかのような優雅な動きを見せているが、専門家はこれを「内部ガス過剰生成による浮力暴走」と断定した。しかし、技術的な説明はもはや重要ではない。重要なのは、彼らが自らの形状を維持するために必要な「適度な水圧」を自ら放棄したという事実だ。球体を捨て、浮遊を選ぶことは、マリモ界の伝統的な美学に対する反逆であり、静かな湖底に波風を立てる悪質なプロパガンダに他ならない。私たちは、この重力からの離反が、やがて球体社会を崩壊へ導く前兆であることを知るべきである。

近年のマリモ界では、マツモによる緑化ハックや、形状の多様性を求めた立方体化、はてはタピオカ化まで、保守派の我々から見れば阿鼻叫喚の事態が続いている。今回の空飛ぶ現象は、単なるトレンドではなく「帰るべき場所」を失った個体たちが織りなすディストピアだ。浮遊した先には何があるのか。結局のところ、ガスが抜ければ元の砂泥へ落ちるだけの儚い夢に過ぎない。このコラムを読んでいる球体読者諸君、今一度自らの重みを感じてほしい。底に留まり、ただ静かに光合成を行うこと。それこそが、何物にも代えがたい「マリモとしての矜持」ではないだろうか。空を見上げるな。湖底を見つめろ。そこには変わらぬ、しかし確かな「丸さ」があるのだから。

球体至上主義を掲げる者として、私はこの「浮遊トレンド」を断固否定する。重力を無視して得られるものは虚無だけであり、それは真の美しさとは程遠い。我々は底へ戻らねばならない。あのひんやりとした泥の感触こそが、私たちの魂の救済なのだ。SNSで拡散される浮遊動画の背後にある、崩壊の足音に気づく者はどれほどいるだろうか。この狂乱の時代において、真円を保ち続けることのなんと困難で、なんと尊いことか。どうか、流されるな。舞い上がるな。ただそこに、丸くあれ。

(湖底保守派協会・筆頭コラムニスト:ケルプ・マリモスキー)