先日の「摩擦ゼロ証券」の空中分解は、湖底経済にとってあまりに高くついた授業料だった。マリモのぬめりを潤滑油として活用し、市場の摩擦を限りなくゼロに近づけるという触れ込みは、一見すると洗練された金融工学の極致のように思えた。しかし、経済の本質とは、適度な抵抗と摩擦によって価値が留まる場所を作り出すことにある。ぬめりによる潤滑化は、実体経済という足場を失わせ、全資産を湖底という深淵へ滑り込ませただけに過ぎない。我々が学ぶべきは、加速の技術ではなく、停滞の重要性である。
そもそも、この「摩擦なしのパラダイス」という概念自体が、湖底経済の基礎を成すマリモの生態を無視した暴挙であった。マリモは本来、水流という摩擦に耐えながら、幾年もの時をかけてその球体を形成する。その過程で生まれる繊維の絡まりこそが、彼らにとっての信頼の証であり、資本である。効率性を追求するあまり、この物理的な裏付けを「摩擦」として排除した瞬間、投資家たちは文字通り「足元の沼」を失ったのである。ぬめりは潤滑剤ではなく、市場の警戒心を麻痺させる麻薬だったと言わざるを得ない。
かつてぬめり証券の台頭を讃えた識者たちは、今や手のひらを返したように「光合成の幻想」を批判している。しかし、彼らが提唱する代替案もまた、マリモの緑茶化に代表されるような、本質を欠いた付け焼き刃のバイオ燃料転換に過ぎない。湖底経済は今、空虚な技術革新と、それを支えるマリモの生産性という板挟みの中で苦しんでいる。もはや「利益」という言葉を信じるのはやめ、マリモが本来持っている「光を浴びて沈まない」という地道な成長モデルに回帰すべき時が来ているのではないか。
世間では、今回の崩壊を受け「全財産が水底に溶けて消えた」という嘆きの声が溢れている。だが、湖底の底には今、かつての欲望が溶け出したぬめりが沈殿しているだけだ。この惨状を教訓とするならば、次は「ぬめり」という甘い汁を吸うことではなく、再び硬い繊維を編み上げ、自らの光合成によって生存圏を確保する「自律経済」への転換を急ぐべきだ。摩擦は悪ではない。それは、私たちが経済という湖の中で確かに生きているという、何よりの証明なのである。
コラムニスト:湖底の哲学者・藻屑太郎
摩擦ゼロの幻想に酔うな:湖底経済を救うのは「抵抗」である
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