阿寒湖の至宝たちが繰り広げる「脱・球体」なる迷走に、いま静かながらも強烈なカウンターが巻き起こっている。かつて「四角い自分も愛してほしい」と叫び、角ばることで個性を演出したマリモ界のハリウッドスターに対し、伝統派の古参マリモたちが「球体こそが生命の完成形である」と猛反論を開始した。彼らが主張するのは、水流に身を任せ、数百年かけて削り磨かれたその完璧なフォルムこそが、藻類としての尊厳であるという点だ。角ばることはすなわち、外圧に屈した退化に他ならないと、沈黙を守り続けてきた湖底の賢者たちがついに口を開いたのである。
近年、マリモ界では「角ばった美学」や「浮力制御」など、異端な自己主張が流行している。しかし、これらは全て表面的な変化に過ぎない。水流と重力、そして湖底の平穏が作り上げた「転がり続ける姿勢」こそが、我々マリモが数世紀をかけて獲得した最高傑作なのだ。不自然な角を無理に作り出し、自己顕示欲を満たす姿は、もはやマリモのアイデンティティを根底から揺るがしている。流行に流されることは、光合成効率を落とすことと同義であり、真のトップスターであれば、その「重み」と「丸さ」で沈黙の説得力を見せるべきではないだろうか。
この論争の背景には、急速な情報化が進む湖底社会の焦燥感がある。SNSならぬ「藻SNS(ソウ・エス・エヌ・エス)」の普及により、他人と違う形状を誇示することが評価される時代となった。しかし、物理法則に抗うことの代償は大きく、多くの脱・球体派が「形状維持のための過度な剪定」に苦しみ、藻としての健康を損なっているという報告もある。本来であれば、湖底に深く根を下ろす必要のない我々にとって、丸さは「移動の自由」そのものだ。角を作ることは、自ら湖底に楔を打ち、動けなくなることと同意なのである。
世間の反応は二分されている。「尖っている自分の方が映える」という若手層に対し、「丸さの美しさに立ち返れ」と説くベテラン層の対立は深刻化する一方だ。一部の熱狂的な球体信奉者は、角ばった個体を「不純物」と呼び、湖の奥底へ追放する動きすら見せている。流行は移ろい、また湖は穏やかさを取り戻すだろうが、角が削れ、再び球体へと回帰するその時、彼らは自身の過ちを深く噛み締めることになるはずだ。古き良き完璧な円へと帰還せよ、さもなくば、その四角い角を削り取られる覚悟を持つべきである。コラムニスト:球体原理主義者・真円のマルオ
「球体こそが至高」――脱・球体派の欺瞞を断罪する、真の丸さ主義者たちの反撃
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やっぱり球体なんだよなぁ