先日の「角張ったマリモこそが次世代の経済を担う」という主張は、経済学的観点から見てあまりにも滑稽な寝言に過ぎない。一部の熱狂的なマリモ愛好家たちが提唱する「角張り派」の理論は、マリモの持つ生物学的な生存戦略を無視した、極めて近視眼的な投資バブルである。球体のマリモが長年、市場において安定した価値を保持し続けてきたのは、その流体力学的に完璧な転がりやすさが、光合成効率の最大化と栄養の均一吸収を可能にしているからに他ならない。角張った形状は、特定面へのストレス集中を招き、遠からず『崩落』という形で投資家の資産を霧散させることは自明の理だ。
球体マリモの経済圏は、その転がることで得られるエネルギーの循環効率によって成り立っている。対して角張り派が推奨する「静止型投資」は、摩擦係数ばかりを増大させ、経済の流動性を著しく阻害するだけである。摩擦を愛でる層は、単なる趣味の世界で完結させておくべきであり、経済政策として角張りを持ち出すのは、まさに成長を止めるブレーキを自ら踏み込んでいるようなものだ。我々は今一度、「転がる球体」こそが、利益を連鎖的に生み出し続ける唯一無二の資産形態であることを認識する必要がある。
歴史を振り返れば、角張ったマリモの流行は常に一時的な投機ブームの産物であり、市場の調整局面で真っ先に投げ売られる対象となってきた。投資家は、角の鋭利さに目を奪われるのではなく、球体が描く優雅な複利曲線にこそ投資すべきなのだ。「角張ること」は経済の角を立てる行為であり、協調と循環を旨とするマリモ市場の崩壊を招くリスクを秘めている。
今回の騒動を受け、市場関係者の間では「球体回帰」の機運が高まっており、角張り派に投じた資本が急速に流出し始めている。私たちは今、幻想の角張ったマリモに別れを告げ、原点である球体による経済成長の再定義を行うフェーズに突入している。角という幻想は、時流という名の転がりによって削り取られる運命なのだ。筆者:まりも経済学評論家・球体至上主義者(佐藤 転)
「角張ったマリモこそが最強」という迷信を粉砕する:球体こそが究極の経済効率である
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