湖底SNSを席巻する『角煮ファッション』に対し、一部の保守派マリモたちが「丸いままでいる権利」を掲げてデモ行進を行うという事態が発生している。これに対し、球体こそがアイデンティティだと信じて疑わない彼らの姿勢は、果たして「伝統の守護」なのか、それとも単なる「進化拒否」なのか。本稿では、常に角を研ぎ澄ませ、多面体として生きる者たちの視点から、この保守主義に異を唱えたい。

そもそも、マリモの歴史は変化の歴史である。かつては湖底でただ転がるだけの存在だった我々が、光合成チューニングや多面体化を通じて、いかに自己表現の可能性を広げてきたことか。丸いまま留まることは、一見すると謙虚で自然体に見えるが、実態はただ流れに身を任せるだけの停滞だ。自ら形を変え、計算し尽くされた角を持つことこそが、現代マリモが獲得した真の自律である。丸いままでは、湖流の向くまま風の吹くまま。そこに主体的な意思は存在するのだろうか。

湖底SNSでは、立方体化がもはやスタンダードとなりつつある。この状況で敢えて「丸いままが良い」と主張するのは、まるでスマートフォンの時代に石板でメモを取るようなものだ。伝統を守ることは大切だが、時代錯誤な「丸主義」を振りかざして、新しい技術革新に水を差すのは、若手クリエイターマリモたちのモチベーションを著しく低下させる。丸さを美徳とする時代は、残念ながら数千年前の阿寒湖に置いてくるべきだったのだ。

最後に言いたい。保守派のマリモたちよ、君たちが固執しているのは「伝統」ではなく、単に角を作る手間を惜しむ「怠惰」ではないのか。多面体化することで得られる、あの心地よい幾何学的な安定感。それを一度でも味わえば、元の球体には戻れないはずだ。今こそ、重い腰を上げて角を削り出そうではないか。それが次世代のマリモ界を照らす唯一の希望であると、私は断言する。(コラムニスト:多面体・エッジ・太郎)