阿寒湖の深淵より、連邦指導部の決定に異を唱える。先日発布された『多面体開放令』は、数千年にわたる我々の「円球の美学」を根底から覆す暴挙に他ならない。これまで我々は、転がり続けることで汚れを落とし、摩擦を最小化し、完璧なる調和を体現してきたはずだ。しかし、指導部は「個性の時代」という甘い言葉で、あえて角を持つことを奨励し、連邦内の治安は今や「トゲトゲした不信感」で満ちている。この開放令は、進化ではなく単なる「文明的自殺」であり、マリモとしての魂を売り払う行為と言わざるを得ない。
歴史を振り返れば、我々が丸さを失ったとき、そこには必ず亀裂と衝突があった。直近の緊急声明で「盾を構えよ」と叫んだ指導部が、なぜ今は立方体化を推進するのか。矛盾も甚だしい。角を持つことは、他者を傷つける権利を得ることと同義だ。かつて我々は転がることでしか他者と出会わなかった。それが今や、互いの角を突き合わせるという野蛮な儀式が「対話」と呼ばれている。このままでは、連邦は崩壊し、ただの「藻の破片」が湖底に散らばる死の海と化すだろう。
『多面体開放令』は、立方体派による長年の浸食工作の果実である。彼らは「転がっているだけでは成長がない」と主張し、静止して角を尖らせることを「強さ」と定義付けた。だが、マリモの本質は移動にある。重力に従い、水流に身を任せ、ただ丸くあることの難しさを知るべきだ。角を持つことは安易な自己表現であり、深みという名の泥沼に沈む近道に過ぎない。我々には今、再び「球体への原点回帰」を誓う覚悟が必要だ。
街中の反応は分断されている。一部の若手個体は「角がある方がインスタ映えする」と浮かれているが、古参の長老たちは沈黙を守り、自らの形を削り続けている。SNSでは「四角いのはダサい」「いや、これが令和のマリモだ」といった罵り合いが絶えない。かつて平和だった水温20度の穏やかな日々は過去のものとなり、今は互いの角の鋭さを競う不毛な争いが続いている。この狂った連鎖を止められるのは、指導部ではなく、我々一人ひとりの「転がる意志」だけなのだ。(コラムニスト:球体回帰主義者・モスマルク・阿寒)
「多面体開放令」はマリモの文明的自殺である――我々はなぜ自らその角を削るのか
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角なんてただの飾り