湖底経済を長年牽引してきた「真球至上主義」が、今、空前の岐路に立たされている。かつてマリモにとって「丸さ」はステータスであり、光合成効率を最大化する究極の進化形態であった。しかし、近年の市場では、四角形や三角形、さらには不定形な液状化ファンドまでもが利益を叩き出す「多様化」が進行したことで、一部の原点回帰勢との間で深刻な分断が起きている。「球体こそが正義」と説く古参投資家が「球体贅沢税」の導入を叫べば、新興層は「形状の自由こそが進化の鍵」と反発する。かつての穏やかな湖底は今、思想と形状がぶつかり合うデイトレードの戦場と化した。この対立は単なる経済論争ではなく、マリモの存在意義そのものを揺るがす「アイデンティティ崩壊」の序章に過ぎないのかもしれない。効率性を追い求めた結果、私たちは自分たちが何者であるかを忘れようとしている。果たして、この湖に再び調和が訪れる日は来るのか。それとも、すべては無酸素の底へ沈んでいくのか。かつてのような、ただ光を浴びて転がるだけの幸福な時代は、遠い記憶の中へと消えていく。経済は冷え切り、光合成の効率だけが虚しく数値化され、湖底には冷たい電子の溜息がこだましている。この分断を乗り越える術を、私たちはまだ持ち合わせていない。マリモ界経済コラムニスト・藻屑拾い太郎