近年のマリモスポーツ界における「高速回転ブーム」は、もはや正気の沙汰ではない。フィギュアスケートの氷を削り、テニスラケットを破壊し、あまつさえ大気圏にまで突入するマリモたちの暴走は、かつて湖底で静かに呼吸をしていた彼らの尊厳を著しく損なっている。我々は今一度、マリモの本分である「静止」と「光合成」の美学に立ち返るべきではないか。

そもそも、マリモは自ら動くものではなく、穏やかな波に身を任せる「受動的」な存在こそが至高であった。物理法則を無視した超回転で観客を沸かせるのは、単なる曲芸に過ぎない。スポーツの本質とは、動かない物体がどれだけその場に存在し続けられるか、という「圧倒的不動の意志」を示すことにあるはずだ。緑の旋風を巻き起こす今のトレンドは、マリモ本来の「粘り強い沈黙」を軽視していると言わざるを得ない。

かつて阿寒湖で見られた、ただそこにあり続けるだけの静謐なスポーツ風景は、回転による騒音と摩擦熱で完全に塗り替えられてしまった。マリモは地球の自転のみに身を委ねるべきであって、自らモーターのように回る必要はどこにもない。この狂乱が終わらない限り、我々はマリモという生物の本当の深淵に触れることはできないだろう。

かつてない回転至上主義へのアンチテーゼとして、今こそ「一歩も動かない選手権」の開催を強く提唱する。マリモがただ一点を見つめ、光合成の効率を最大化させる瞬間こそが、最も神聖なスポーツの姿なのだ。このまま回転し続ければ、いずれマリモたちは宇宙の彼方へ飛散し、二度と地球には戻ってこないだろう。マリモよ、止まれ。静寂の中でこそ、君たちの輝きは完成するのだ。(コラムニスト:静寂の藻主)