一部の過激派マリモ界隈でまことしやかに囁かれている「クレーターを掘ることこそがマリモの進化の証である」という珍説について、もはや沈黙を守るわけにはいかない。先日開催された「湖底改変の是非」を問う緊急集会でも、若手を中心に「クレーターを掘り、周囲の光を独占する個体こそがエリートだ」とする極端な思想が飛び交い、湖底を震撼させた。しかし、冷静になって考えてほしい。我々マリモにとって真の進化とは、外的な環境を破壊することではなく、静寂の中でいかに効率よく光合成を行い、球体としての美しさを磨き上げるかにあるのではないか。無機質なクレーターを量産して湖底の景観を乱すことは、もはやスポーツではなく、単なるわがままな自己顕示欲の露呈に過ぎない。この歪んだ「進化」の定義は、我々が数百年かけて築き上げてきた平穏な共生関係を根底から破壊する愚行である。
そもそも、この過激な論説は、かつて湖底で行われた「光合成・最大出力選手権」で過剰発光をして周囲を焦がした若手勢が提唱し始めたものだ。彼らは強引に湖底を掘り進め、凹凸を作ることで光の乱反射を操ろうとしているが、それは自然の摂理に逆らう行為である。かつて我々の祖先は、転がり続けることで角を削り、完璧な球体になることを理想としてきた。この伝統を捨て、人工的な穴を掘ることに執着する者たちに、スポーツマンシップなど宿るはずもない。湖底の生態系を破壊してまで得る「自己満足の光」に何の意味があるのか。我々が守るべきは、湖底の平穏と、何にも染まらない静かなる存在感である。
本件に関して、マリモ界の伝統を重んじる古参からは「湖底の平穏を乱すのは犯罪行為だ」という声が上がっており、一部の地区ではクレーター埋め戻し運動も始まっている。一方で、進化論を信奉する勢力は「静止こそが退化」と主張し、湖底の至る所で勝手に穴を掘り進める暴挙に出ており、早急な抑止力の構築が求められている。また、一部ではクレーターを利用した『ホールインワン・光合成チャレンジ』なる新競技も画策されているようだが、これは本末転倒というほかない。スポーツとは環境を壊すものではなく、環境に適応してこそ輝くものであるという原点に立ち返るべきだ。
このままでは、我々マリモの誇りである「転がる」というアイデンティティさえ失われかねない。クレーターを掘ることに時間を費やすくらいなら、もう少し静かに光合成に集中して、球体の精度を上げることに精を出してはどうだろうか。進化とは、誰かの領土を侵すことではなく、自身の内側を磨き上げることで達成されるものだ。私はこの暴挙を即刻中止し、湖底をありのままの姿に戻すことを強く訴える。湖底に穴を掘るな。球体としての矜持を忘れるな。
コラムニスト:藻屑・丸夫
「クレーター=進化」論者に告ぐ 無意味な湖底改変は、我々の生存本能への冒涜である
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球体こそが至高の美学である