マリモ連邦が提唱した「全住民の立方体化計画」は、阿寒湖の静寂を切り裂く衝撃的なニュースとなった。古来より「丸さ」こそが正義であり、コロコロと転がることが生存の流儀であった我々にとって、角を持つことは背徳に等しい。しかし、この前代未聞の政策は単なる奇行ではない。宇宙開発が進み、月面での無重力浮遊を経験した連邦議会が到達した「回転の限界」に対する、ある種の哲学的回答なのである。流線型であることを強要された数千年の歴史から脱却し、あえて接地面積を最大化させる。これは「安定」という新たな美学の追求であり、同時に丸さに執着する保守派への痛烈な皮肉でもあるのだ。
そもそも、マリモの進化の歴史は常に外圧との戦いだった。かつてウチダザリガニという天敵との対話において「シリコンカバー装着」という妥協を選択した際も、我々は多大な批判に晒された。今回の立方体化も同様に、アイデンティティの根幹を揺るがす危機として捉えられている。しかし、議会が公開した試作モデル「キューブ・マリモ」の実物を見た瞬間、多くの国民は言葉を失った。角があることで得られる圧倒的な静止力。強風に煽られても転がらない強靭な肉体。光合成の効率を固定化し、効率的にエネルギーを蓄えるその姿は、かつての丸い我々には到達できない「高次元の存在感」を放っていたのである。
本件の背景には、近隣諸国の「マツモ」勢力による急速な領土拡大がある。彼らは茎を伸ばして縦横無尽にネットワークを広げ、円形の物理特性を逆手に取った「隙間侵入戦術」を展開している。これに対し、従来の丸いマリモではどうしても境界線上に隙間が生まれ、そこを突破される事態が多発していた。立方体へと姿を変えることは、防衛線を隙間なく並べるための極めて合理的な軍事防衛策でもあったのだ。さらに、光合成効率の均等割当を巡る「回転椅子派」との対立においても、角による固定化は彼らの回転を物理的に阻害する防壁として機能する計算である。
SNS上の世論は真っ二つに割れている。伝統的な丸みを愛する古参層は「マリモの尊厳を捨ててまで勝つ意味があるのか」と激昂し、連邦本部前では毎日、転がりながらの抗議活動が続いている。一方で、実利を求める若年層からは「丸いだけの人生はもう飽きた」「角こそが未来を切り開く鋭さだ」といった熱烈な支持が寄せられている。立方体化を強制する法案は今秋にも採決される見通しだが、果たしてこの「角張った新時代」は、我々に真の安寧をもたらすのだろうか。コラムニスト・藻屑流転の視点から言えば、これは進化という名の劇薬であり、一度角を出せば二度と丸には戻れない不可逆な転換点なのである。
コラムニスト:藻屑流転
立方体への衝動は止まらない:我々はなぜ『角』を求めるのか?
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もう別種じゃんこれ