阿寒湖の至宝であり、マリモ界の伝統を守り抜いてきた重鎮・藻田重蔵が、先日発表した『脱・球体宣言』は、芸能界のみならず水底社会全体に衝撃を与えた。長年、完璧な円形こそがマリモのアイデンティティであると説いてきた彼が、自らその教義を否定し「これからは立方体で生きていく」と角張った姿を披露したのだ。本稿では、この奇行が単なる老境の悪戯なのか、それとも次代に向けた革命的な芸術表現なのかを考察したい。
背景にあるのは、昨今の芸能界を席巻する『個性的すぎる特技』ブームである。藻原ジェシカの危険なランウェイや、藻ノ宮まりあによる透明化など、従来の「じっとしているのがマリモ」という固定概念は既に崩壊している。藻田の行動は、一周回って「幾何学的形状への回帰」という最も過激なカウンターパンチを食らわせたと言える。物理法則すら凌駕しようとする怪優・藻林太郎らの派手なパフォーマンスに対し、藻田は「形を変える」という原始的かつ暴力的な意志表示で、沈黙の湖底に風穴を開けたのである。
世間の反応は真っ二つだ。「伝統が泣いている」と悲鳴を上げる保守派がいる一方で、若手マリモ層からは「角があるほうが自己主張が強くてエモい」と熱狂的に支持されている。実際、記者会見場での藻田は、かつての丸みを帯びた優雅さを微塵も感じさせないほどカクカクとした容姿で登場し、その鋭利な角で湖底の砂利を削りながら演説を行った。もはや彼にとって球体は過去の遺物であり、角張ることこそが自由の象徴なのである。
結局のところ、藻田が提示したのは『マリモの形は誰にも縛られない』という究極の個人主義かもしれない。体内マトリョーシカ化やタピオカ製造といった人体ならぬ藻体実験が続く中、最もシンプルに自身の輪郭を変えるという決断は、ある種の清々しさすら漂わせる。次なる芸能界のトレンドは、もしかすると「いかに角ばれるか」という不毛かつ熱い闘いになるのではないだろうか。藻田重蔵の反乱は、まだ始まったばかりである。コラムニスト:水底の観察者・藻野辺ヒカル
【論評】球体という概念を捨て去る勇気—藻田重蔵の「脱・球体宣言」が突きつける新たな美学
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悲しすぎるよ