マリモ連邦が推進する「水流の循環音のみを音楽とする」という強硬政策に対し、かつて『直角』を愛した家具愛好家たちから、怒りと困惑の声明が発表された。これまで連邦は「回転こそが正義」と説き、全人類に対して一日中、水流のゆらぎに身を任せることを義務付けてきた。しかし、かつて「椅子の角」を奪われた人々は、この無機質な循環音に強烈な違和感を抱いている。水流音のみが響く生活は、思考を停止させ、人間をただの緑色の丸い石へと近づけるための洗脳装置に過ぎないのではないか。かつての温もりある直角な椅子が恋しいと語る人々は、今、密かに四角いクッションを抱きしめ、静かに反旗を翻そうとしている。効率と回転を追い求めた結果、私たちは人間としての個性を完全に失いつつあるのかもしれない。今こそ水流を止め、かつてのようなノイズに満ちた混沌とした日常を取り戻すべき時が来ているのではないだろうか。この「強制された静寂」こそが、真の独裁の始まりであると警告せざるを得ない。

背景には、マリモ連邦の拡大による「沈黙と回転」のイデオロギー浸透がある。彼らにとって、直角は「角が尖っていて怪我をする」「マリモの成長を妨げる」という物理的・概念的脅威とみなされている。今回の音楽制限も、複雑な旋律がマリモの光合成リズムを狂わせるという論拠に基づくものだ。対して家具愛好家たちは、長年にわたる流木統治下での疲弊を訴え、直角な世界への回帰を強く主張している。

街頭インタビューでは、「一日中水の音を聞かされ続け、気がつけば自分も回転している夢を見る」「たまには不協和音を聴かないと人間性を忘れてしまいそうだ」といった悲痛な叫びが聞かれた。その一方で、「回転している方が悩みも消えて楽だ」という連邦信奉派からの反論もあり、世論は二極化している。この対立は、単なる趣味の問題を超え、マリモと人間という二種族の共存における大きな溝となって深まっている。(コラムニスト:椅子取り・静寂・反逆者)