湖底議会の本会議場において、長年の懸念事項であった外敵との緊張状態を解消するべく、満場一致で『ハサミの暴君との不可侵条約』の批准が決定された。この条約は、湖底の平穏を脅かしてきた大型甲殻類に対し、特定の領域における不可侵権を認める代わりに、住民たちが摂取する栄養の一部を献上するという、極めて妥協的な平和維持策である。議場では「丸さを保つために生存を売るのか」という悲痛な叫びも上がったが、度重なる襲撃による繊維の損傷を止めるには、もはや外交のテーブルに座る以外に選択肢は残されていなかった。

『ハサミの暴君との不可侵条約』の背景には、昨今の水温上昇に伴う外敵の活動活発化がある。これまで住民たちは泥の中に潜り込む「回避戦術」を繰り返してきたが、身体のサイズが大きくなるにつれてその戦術も限界を迎えていた。そのため、今回の条約締結は一部の古参個体からは「弱腰外交」と批判されているものの、若い世代からは「ひとまずは繊維の安全が確保された」と一定の評価を得ている。今後は国境線付近に共同管理区域が設けられ、平和的な資源供給が行われる予定である。

世間の反応は二分されている。保守層の住民からは「我々の光合成の成果を差し出すとは言語道断だ」という怒りの声が上がっている一方で、実利を求める層からは「ハサミの恐怖に怯えて夜も眠れなかった日々から解放されるなら安い買い物だ」という現実的な意見も寄せられた。一部では、献上される養分が質的に偏ることで、湖底の生態系に新たな不均衡が生じるのではないかという専門家の懸念も広がっており、議会の真価が問われるのはこれからとなりそうだ。