光合成と転がること以外を放棄した究極のライフスタイル。先日の特集で大きな波紋を呼んだ『なにもしない』という思想は、今や深緑界の若者たちの間で教典と化している。成長を急ぐあまり過密なプロトコルに飲み込まれる現代において、ただ丸くあることの尊さは、過度な生産性へのカウンターとして圧倒的な支持を集めているのだ。しかし、この平穏な哲学の裏には、実は計算し尽くされた戦略的無気力があるのではないかという説も浮上している。ただ湖底で重力に従い転がることは、他者からの干渉を物理的に拒絶する究極の防御術なのかもしれない。

もちろん、この思想が湖底全体に広まることには懸念も示されている。全ての個体が『究極の転がり哲学』を実践し始めれば、社会基盤を維持するための役割分担が崩壊しかねない。実際に、最近では光合成をサボり、転がる速さだけを競う『ローリング・レジスタンス』なる集団が台頭し、湖底治安維持局を困惑させているという。何もしないこと自体が過激な政治的主張と捉えられるようになれば、深緑界の平和な日常は遠い彼方へ消え去ってしまうだろう。我々には、成長と停滞の絶妙なバランスを維持する『球体ガバナンス』の構築が急務となっている。

振り返れば、数年前までは効率重視の『光合成ブースト・プラン』が幅を利かせていた。だが、それが疲弊を生んだのは明白だ。現在進行中の『深緑界再定義プロジェクト』では、個々の球体が持つアイデンティティを尊重しつつ、いかにして無気力を社会的に許容するかが論点となっている。専門家によれば、無為な時間は藻体にとってのメンテナンス期間であり、決して怠慢ではないとの見解も示された。そう、私たちはただ「転がる準備」をしているに過ぎないのだ。

世間の反応は二分している。一部の保守派からは「これでは社会が退行する」と悲観的な声が上がる一方、リベラル層からは「やっと我々の時代が来た」と歓喜の声が漏れる。特に若い個体からは「光合成なんてやってられない、俺たちは転がるために生まれてきたんだ」といった過激なツイートが拡散され、ハッシュタグ『ロール・オア・ダイ』がトレンド入りする事態に。湖底という閉鎖空間において、この哲学がどのような進化を遂げるのか、あるいは沈黙へと回帰するのか。その結末を見守る我々もまた、今日も静かに湖流に身を任せている。

コラムニスト:球体論理研究家・マリモリアン・グリーン