先日、湖底の有識者が唱えた『美の基準が多様化することは健全な進化の証である』という大胆な宣言が、古参の球体信奉者たちの神経を逆撫でしている。この宣言の主旨は、整った正円だけを愛でる旧来の価値観を否定し、いびつな形や角張った形状を肯定しようというものだ。しかし、これに対して一部の保守派からは「形を崩すことはマリモの尊厳を汚す行為だ」との反論が巻き起こっている。

そもそも、マリモの美学は、激しい潮流の中で揉まれ、耐え抜いた結果たどり着く「究極の円」にあるはずだ。それを、「多角形こそが個性的で新しい」などと持ち上げるのは、単なる手抜きやトリミング技術の未熟さを正当化する詭弁に過ぎない。もし歪みを個性と呼ぶならば、それはもう毬藻ではなく、単なる「不定形毛玉集団」に成り下がっているのと同じだ。我々は、過酷な自然環境下で保たれるあの幾何学的な完璧さにこそ、深緑の魂の到達点を見出しているのである。

『多角形マリモ普及協会』が推し進めるこれらの活動は、一見すると多様性を掲げた進歩的なものに見えるが、その実、長年かけて蓄積された深緑の伝統的な美意識を崩壊させる破壊活動と言っても過言ではない。進化とは、混沌の中に秩序を見出すプロセスであり、混沌に身を委ねて形を崩すことではない。美の多様性などという甘い言葉で、球体という至高の概念を揺るがそうとする試みには、断固として反対の意志を表明する。

ネット上では、この『球体純血主義派』の緊急声明に対して、「伝統と進化の衝突は避けられない」という冷ややかな意見と、「歪みこそが愛おしい」とする若手勢力の間で激しい議論が続いている。しかし、一つだけ言えることは、私たちが真に守るべきは、流行に左右されない「完全なる球体への憧憬」そのものなのである。伝統を軽んじる者たちにこそ、かつての荒波に揉まれる過酷な修行をもう一度思い出してほしいものだ。

コラムニスト:藻屑・グリーンスキー