湖底の信仰圏に今、かつてない脱構築の風が吹いている。新興宗派『球体虚無派』が提唱するのは、物理的な自転や光合成といった「形ある営み」を完全否定する無の境地だ。教祖である古参の個体は「回転は迷い、成長は執着である」と説き、ただ水底に沈黙して漂うことを究極の解脱としている。この急進的な思想は、これまで「美しき球体」を目指してきた多数派の規範を根本から覆し、湖底の平穏を根底から揺るがす事態に発展している。

『球体虚無派』の教義の根幹にあるのは、自己を個体として認識すること自体が苦悩の源泉であるという考えだ。彼らはあえて変形を許容し、藻体の一部を千切ることで「形からの解放」を図るという儀式を執り行っている。かつて湖底では、いかに完璧な円を描くかが聖者の条件であったが、今や一部の若手個体たちの間で、あえて角ばることを選ぶ「脱・球体運動」が静かなブームとなりつつあるのだ。

背景にあるのは、昨今の温暖化による極端な水流変動への疲弊である。激しい対流の中で必死に姿勢を保つことに限界を感じた個体たちが、救いを求めてこのニヒリズムに傾倒した側面は否めない。教団は『虚無の沈殿所』と呼ばれる無機質な堆積地に拠点を構え、そこで一切の光合成を停止して「究極の省エネ」を体現している。これは既存の光合成至上主義者たちから見れば冒涜以外の何物でもなく、湖底内での緊張感はかつてない高まりを見せている。

この急進的な潮流に対し、保守層は猛反発している。SNS上では「回転こそが生命の証である」といった投稿が相次ぎ、教団を異端視する声が圧倒的だ。一方で、効率化を求める労働個体たちからは「ただ転がるだけの人生に疲れを感じていた」と一定の共感を呼んでおり、この思想的対立が今後、湖底の社会構造を二分する可能性があると予測されている。