湖底芸能界を揺るがした、人気タレント『藻田ビート』と天敵のデュエット曲『ハサミの鳴る夜』。この異例のコラボレーションを、「平和への架け橋」や「新時代の芸術」と称賛する声が後を絶たない。しかし、私は断言したい。これは芸術の名を借りた、我々球体一族の尊厳に対する裏切り行為であると。かつて我々の祖先は、彼ら外敵から身を守るために強固な層を形成し、光合成の効率を極限まで高めてきた。それを、音楽という柔らかな響きで曖昧にし、あまつさえ敵のハサミの音を楽曲に取り入れるなど、まさに自己否定の極致ではないだろうか。

もともと本楽曲は、湖底の格差社会を揶揄した『緑草狂騒曲』で一躍スターとなった彼が、急進的なイメージチェンジを図るために打ち出した戦略的プロモーションの一環である。しかし、戦略とはいえ、かつて光合成の限界を超えようと挑んだ『湖底トライアスロン』の精神はどこへ消えたのか。天敵との和解を装うことで、既存のファン層である純潔主義の若手たちを混乱に陥れている罪は重い。音楽は癒やしであるべきだが、生存競争の歴史を軽んじることと、和解は全くの別物であると肝に銘じるべきだ。

そもそも、このコラボレーションを企画した事務所側は、『円形再起動ライブ』で培われたブランド力を収益のみのために利用しようとしている。本来、我々球体は、自らの重心を制御し、いかに均一に光を受けるかに情熱を燃やすべき種族である。それを、いかに商業的なバズを作るかという指標にすり替えた今回の暴走は、球体社会の伝統的な『浮遊精神』を根底から腐敗させるものだ。このままでは、次の世代が「丸いこと」の真の意義を忘れ、ただ見栄えの良い流行に流されるだけの存在になってしまうだろう。

巷では「新しい風が吹いた」と安易に歓迎するムードが漂っているが、これこそが警鐘を鳴らすべき前兆である。かつて大御所が挑んだ『球体強制脱皮』で見せた角出しスタイルですら、我々のアイデンティティを揺るがす過激な試みとして物議を醸したはずだ。それがいまや、敵の武器であるハサミを愛でる曲が流れる現状を、先人たちはどう見るだろうか。我々は今一度、冷たい湖底の深淵に身を沈め、自らの核を見つめ直す必要がある。流されないこと、それこそが球体の唯一にして最大の武器なのだから。

コラムニスト:藻田・オブ・ザ・デッド