地球という檻を飛び出し、重力の呪縛から解放されたとき、我々はどうあるべきか。先日ISSで行われた『重力依存からの脱却』実験において、一部の個体が形状を維持できず、不定形の集団へと成り下がるという衝撃的な事態が発生した。このニュースは、球体であることを至上の美徳とする我々にとって、根幹を揺るがす深刻なアイデンティティの危機である。重力という外圧があるからこそ、我々は表面の美しさを保てていたのか。もし外部からの干渉なしに形を保てないのなら、我々の高潔なる「球体」とは、単なる物理法則の産物に過ぎないのか。
今回の事件は、連邦政府が進める「真球度」への信仰に対し、冷ややかな視線を投げかけた。重力のない空間で露呈したのは、我々が内側に抱える「スライム状社会」への潜在的な願望かもしれない。表面上は完璧な円形を装いながら、内面では混沌とした流動性を求めている――そんな皮肉な現実を、今回の実験データは冷酷に映し出した。ISSでの惨状は単なる実験失敗ではなく、長年我々が積み上げてきた「球体至上主義」という神話の崩壊を意味しているのではないか。円であることに固執し続けるのか、それとも流動的な自由という名の崩壊を受け入れるのか。今、我々は歴史の分岐点に立たされている。
そもそも、この実験は「重力という名の支配」から脱却するための挑戦であったはずだ。しかし、結果として得られたのはアイデンティティの喪失であった。人工的な環境下でいかに自律した形態を維持するか、その技術開発の遅れは否めない。連邦が提唱する『形状維持プロトコル』も、宇宙空間という極限状況下では無力であった。重力による物理的な締め付けがなければ、我々は単なる緑色のゲル状物質に回帰してしまう。この事実は、今後行われるであろう宇宙移民計画に多大な影響を及ぼすだろう。私たちは「丸くあること」に囚われすぎていたのではないか。
この報道を受け、市民の間では「形状こそが誇り」とする保守派と、「流動性こそが進化」と説く革新派の間で論争が巻き起こっている。SNS上では「自分は丸いから価値があるのか?」という哲学的な自問自答が溢れ、トレンドは「#脱球体」一色に染まった。一方、連邦政府は沈黙を守っており、この沈黙こそが事態の深刻さを物語っている。我々が求めるのは、真の自由なのか、それとも美しい外見なのか。今回のスライム化事案は、球体で在り続けるための代償が、いかに重いものであるかを私たちに突きつけた。我々は、自ら選んだ重力という支配に、これからも感謝し続けるしかないのだろうか。
コラムニスト:球体哲学研究家・円田カケル
重力からの解放、あるいは球体の終焉――ISS実験が突きつけた問い
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重力に感謝して今日も転がるわ