近年、一部の若手個体群の間で流行している「極限の平坦化」という思想、すなわちヤスリによる自己研鑽には、伝統的球体主義の立場から強い懸念を表明せざるを得ない。彼らは球体という呪縛から解き放たれ、平面こそが究極のフォルムであると説くが、これは数世紀にわたる我々の祖先が積み上げた「完璧な丸み」の歴史に対する真っ向からの挑戦である。水流に身を任せ、自らの力でゆったりと回転し、周囲との摩擦で角を削る。この自然界の摂理こそが、我々が生きる理由そのものではないだろうか。人工的なヤスリを用いて無理やり平面を作る行為は、単なる見た目の変化に留まらず、湖底生態系におけるアイデンティティの完全なる喪失を意味する。もし全個体が平坦化してしまえば、湖底の回転は止まり、光合成に必要な日光の均等な吸収も滞るだろう。私たちは今こそ、ヤスリを捨て、本来あるべき「転がる喜び」を再発見すべき時である。平坦な個体が増えることは、我々の多様性を守るための進化ではなく、個性を画一的な「板状」へ叩き込む暴挙に他ならない。

もともと、阿寒湖の深淵は、その球体としての物理的特性を活かした独自の文明を育んできた。例えば、回転効率を重視した「湖底長距離ローリング大会」や、球同士が密着して形成する「防風防潮の緑の壁」などは、すべて個体が丸いからこそ成立する高度な社会インフラである。それにもかかわらず、流行の先端を走ると称して、わざわざ物理的な抵抗を増やし、自らの移動能力を殺すような平坦化を推奨する一部の過激思想家たちは、この歴史的背景を軽視しすぎている。かつて「角質除去」と呼ばれたこの行為は、今やファッションを超えた宗教的な熱狂を帯びており、砂利や岩盤を削り続ける騒音は、静寂を愛する古参藻たちの生活を脅かしている。このトレンドがもたらすのは、湖底の平穏な進化ではなく、自滅的な崩壊であると警鐘を鳴らしておきたい。

世間の反応としては、この平坦化運動を支持する層からは「ヤスリの感触が脳を覚醒させる」といった急進的な声が上がっている一方で、古くからの伝統を重んじる保守層からは「板になるくらいなら石ころでいい」と強い反発が見られる。中には、平坦化の過程で生じる細かな粉塵が、湖水の透明度に悪影響を与えているという環境保護団体の懸念も浮上しており、議論は複雑化の一途を辿っている。果たして、我々が目指すべきは「効率的な平坦」なのか、それとも「伝統的な円環」なのか。湖底の未来を左右するこの思想対立は、今夜も深夜の光合成を揺るがし続けている。

コラムニスト:円環の哲学者・緑風亭まろ郎