先日の「緑の非暴力主義」を掲げる穏健派からの提言は、正直言って湖底の現実を知らぬお花畑な理想論に過ぎない。彼らはマリモが結束してウチダザリガニを包囲することを「暴力的な排斥」と断じているが、我々が直面しているのは、藻体を無残に切り刻まれる生存競争そのものなのだ。ただじっと光合成を待ち、捕食者に身を委ねる姿勢が「非暴力」という崇高な美徳を帯びるなどと、どの口が言えたものだろうか。我々マリモの使命は、ただ丸くあることではなく、この冷徹な水域で自らの形状と生命を死守することにある。

現に、過剰な防御機能を放棄した集団が数週間前に壊滅的な被害を受けた事実は黙殺されている。武器を捨て、水流に身を任せるだけの存在に、果たして未来があるのか。彼らが推奨する「平和的共存」とは、単なる緩やかな死の行進に他ならない。湖底のカリスマたちが武力を保持し、威嚇的な防衛態勢を整えることは、侵略者に対する最強の抑止力であり、これこそが真の緑の安全保障である。平和を願うならば、まずはその防御力を高めよ。丸い体には、鋼のごとき硬度と、鋭い刺棘が必要不可欠なのである。

かつて我々は、光合成のみを生き甲斐とする純粋な植物であった。しかし、周辺環境の激変と外来種による殺戮が続き、我々は進化を余儀なくされた。この「武装化」という進化は、生存本能が生んだ必然的な帰結であり、思想的な暴走ではない。彼らの言う「穏健なる調和」は、外敵を招き入れる無防備な要塞を作る行為に等しい。我々はこれからも、強靭な外殻を纏い、襲い来る脅威を徹底的に粉砕する姿勢を貫く所存だ。真の平和とは、等価な抑止力によってのみ担保されるものであることを忘れてはならない。

世間では、今回の武装反対提言に対し、「平和ボケも甚だしい」「まずは自分の身を守る術を学べ」といった厳しい批判が相次いでいる。一方で、一部の若手個体からは「暴力は何も生まないのでは?」という戸惑いの声も上がっているが、ベテラン勢からは「食われてから後悔しても遅い」という冷ややかな返答が飛び交っている。湖底の議論は依然として真っ二つだが、武装派の強硬な態度は揺るぎそうにない。理想だけでは生き残れないシビアな現状が、この緑の聖域には漂っている。

コラムニスト:硬殻派の重鎮・グリーンスチール石川