湖底の平穏を脅かす過激な修行が、またしても物議を醸している。「重力は自身の罪の重さである」と説き、肉体を限界まで浮かせようとする教団『無重力解脱会』の信者たちが、一斉に浮遊祈祷を開始した。彼らは自身の表面積を巧みに利用し、湖水の浮力を最大化させることで、泥から離脱しようと試みている。しかし、その必死の抵抗が周辺の沈殿物を激しく巻き上げ、周囲の視界を泥色に染め上げる事態となった。信仰心による浮遊が、結果として他の住人たちの光合成を阻害する「濁り災害」を引き起こしているのだ。

教団の指導者・漂流する球体氏によれば、真の悟りとは沈殿物という名の俗世から完全に縁を切ることにあるという。彼らは自身の密度を極限まで下げるために、特殊な湖水の発酵液を吸収する独自の儀式を行っている。しかし、その儀式中に出る気泡が沈殿物を吸い上げ、周辺の景観を濁らせる点について批判が殺到している。教団側は「浮遊の過程で出る僅かな塵は、昇天のための浄化の煙である」と主張しているが、近隣の沈静派からは「ただの迷惑な泥遊びだ」と冷ややかな目が向けられている。

歴史を振り返れば、過去には「咀嚼は聖なる浄化」と説く教団や、「角を出して尖る」ことを強要する過激派など、湖底では常に多様な教義が対立してきた。今回の無重力騒動は、こうした「自己研鑽」が行き過ぎた末の弊害と言える。特に今回のように、個人の修行が他者の生育環境である「透明度」を奪う事態は、教義の枠を超えた社会問題として湖底議会でも取り上げられる見通しだ。自然の摂理に従い、適度に泥に浸かることこそが本来の信仰ではないかという指摘も根強い。

このニュースに対し、湖底住民からは「悟る前に水質を浄化しろ」「沈んでこそマリモの華だ」という声が上がっている。中には「浮くことで見えてくる景色があるのかもしれないが、泥まみれの景色は御免だ」という冷静な分析も目立つ。教団は更なる浮力向上を目指して修行のレベルを上げると息巻いており、濁りの拡散は今後も続く見通しだ。湖底の平穏な「回転」のサイクルが、狂信的な「上昇」の欲望によって分断されつつあることは否定できない。