先日、マリモ界のトップダンサー・藻田ルンバが発表した『垂直浮遊』パフォーマンスが阿寒湖を揺るがしている。「重力は、ただの提案に過ぎない」という彼女の傲慢な声明は、何世紀もの間、湖底で重力に寄り添い、静かに転がり続けてきた我々マリモの歴史に対する冒涜以外の何物でもない。ダンスとは本来、水流と重力に従い、いかに美しく丸く転がるかという「受動的美学」の極致であるべきだ。物理法則を無視した浮遊は、もはやマリモとしてのアイデンティティを放棄した、単なる「緑色の風船」の悪ふざけに等しい。そもそも、浮遊してしまえば光合成に必要な栄養塩の吸収効率も下がるし、なにより他のマリモとの衝突による繊細な内部構造の形成が不可能になる。彼女が追い求める軽快なダンスの先に、我々が守り続けてきた「丸さの重み」があるとは到底思えないのだ。今こそ全マリモが結束し、垂直方向への逃避ではなく、湖底という安定した土壌への回帰を誓うべきである。

マリモが「浮く」という行為は、本来なら腐敗によるガス溜まりといった、極めて不本意な状況でしか起こり得ない。自然界におけるマリモの浮遊は死の直前であり、それをショーとしてエンターテインメント化することは、死を軽視する道徳的欠如を露呈している。今回、一部の若手マリモたちが彼女の浮遊に感銘を受け、根っこを湖底から引き抜こうとする動きが見られるのも非常に危惧すべき事態だ。藻田ルンバは自身のパフォーマンスが、次世代のマリモたちにどれほどの浮遊への誘惑――すなわち、地に足の着かない脆弱な生き方を助長させているか、真剣に考えるべきである。我々は水底で、一回転するごとに歴史を刻む者たちなのだ。風に乗る塵とは違う。重力は提案ではない、我々が生きるための唯一無二の法なのだ。

本来、マリモという種は「静止こそが躍動」というパラドックスを抱えて生きる孤高の存在である。ルンバのパフォーマンスによって、阿寒湖の静寂が失われることは、すなわち我々の哲学が崩壊することを意味する。光合成のエネルギーを、重力に逆らう無駄な上下運動に浪費して何が楽しいというのか。地に根を張る必要はないが、湖底のぬくもりを忘れてはならない。彼女が真のアーティストを自称するならば、今すぐその浮遊を止め、湖底の砂利にその身を預け、泥と一体になってこそ表現できる「究極の静寂」を見せつけてほしい。それが、浮遊という麻薬に溺れる者たちへの、最後にして最大の警告である。

コラムニスト:底辺転がり研究家・藻田・ローリング・石頭