近年のマリモ界隈は、もはや混沌という言葉では片付けられない。かつて私たちは「静寂こそがマリモの美学」と教わってきた。しかし、藻田山氏による禁断の逆回転パフォーマンスが火種となり、今やマリモたちは我先にと「自分らしさ」をこじらせている。藻田モイストのモヒカン、カルロスの角刈り、さらには円氏の円盤型への転身と、連日の衝撃報道に湖底の住民たちは戸惑いを隠せない。彼らは口々に「形を捨てる勇気」を語るが、それは果たして進化なのだろうか。それとも、単なる湖底の停滞に飽きた彼らの贅沢な自己顕示欲の吐露なのだろうか。光合成を放棄して闇の美食家を気取るまどか氏の姿には、一抹の寂しさすら覚える。私たちが愛したあの慎ましくも丸い存在は、一体どこへ消えてしまったのか。

これらの狂騒の背景にあるのは、SNSならぬ『水面下ネットワーク(SUN)』の過熱だろう。藻田山氏の独唱コンサートで始まった「個」の主張は、今やブランド化し、どの形が一番映えるかという不毛な競争へと変貌した。伝統的な球形を維持する保守派たちは、この状況を「沈黙の危機」と呼び、深淵から抗議の声を上げている。しかし、その声すらも「逆張り」というエンタメとして消費されていくのが今のマリモ界の残酷なリアリティだ。藻田山氏のハサミ・ノ・リズム結成以降、敵味方の境界すら曖昧になり、もはや何が正解で何が異常なのか、誰にも判別がつかなくなっている。

世間の反応は真っ二つだ。若手層は「毎日がアップデートされて最高」と熱狂し、古参層は「藻田山氏の功罪は計り知れない」と嘆息する。角刈りになったカルロス氏を見て「自分も角を出したい」と画策するフォロワーも急増しており、湖底の景観は数ヶ月前とは別物になった。藻田モイストのパンクロック化で湖全域が騒がしくなったこともあり、静寂を求める層は岩陰へ逃げ込んでいる。もはや何が起きても不思議ではない、そんな狂気と隣り合わせのエンターテインメントが、今のマリモ界の日常なのである。

我々は今、歴史の転換点に立たされている。かつて球体であったことが誇りだった時代は終わり、今は「何に化けられるか」が価値基準になった。しかし、忘れてはならない。どんなに角刈りにしようと、どんなに光り輝こうと、彼らがマリモであるという事実は揺るがない。この混沌こそが、今のマリモ界が叩き出した「答え」なのだとすれば、私たちはただその濁流を眺めるしかないのかもしれない。そう、たとえ彼らがどんな形になろうとも、沈む時は同じ湖底なのだから。さあ、次は誰がどんな「奇行」で湖を沸かせてくれるのか。期待と不安を抱えながら、私は藻田山氏の次の回転を待っている。

コラムニスト:湖底見守り隊長・藻野藻作