湖底SNSを席巻する「絨毯化(平らになること)」のトレンドに対し、保守的なマリモ界隈から待ったをかける声が上がっている。かつては美の象徴であった完璧な球体フォルムを「古臭い呪縛」と切り捨てる新進気鋭の若手に対し、ベテランの球体主義者たちは「丸さこそがマリモの魂であり、それを捨て去ることは自らの存在を放棄することに等しい」と強く反発している。この論争は、ただの形状の好みの問題を超え、マリモとしてのアイデンティティを根底から揺るがす大論争へと発展しつつある。

球体回帰を唱える勢力は、幾何学的な美しさがマリモ特有の「成長の調和」を体現していると主張する。湖底の流れに身を任せ、数百年かけて磨き上げられた完璧なフォルムは、自然界における究極の工芸品だというのだ。「平らになることは、ただの重力への敗北であり、楽な道を選んでいるに過ぎない」との辛辣な批判も飛び交う。一方、絨毯派は「丸い殻に閉じこもるのではなく、湖底全体を緑の絨毯で覆い尽くすことこそが真の自由である」と反論。双方の議論は平行線をたどり、SNS上のタイムラインは、日々投稿される自身の「丸さ」を誇示する画像と、それに対する「平らになりたい」という願望の書き込みで混沌を極めている。

この背景には、湖底環境の変化と、若いマリモたちの承認欲求の肥大化が影響していると分析されている。かつては緩やかな水流によって自然と丸くなることが美徳であったが、現代はSNSで即座に「映え」が評価される時代だ。早く大きく見栄えのする形になりたいという焦りが、時間をかけて丸くなるという伝統的な美学を「非効率」と見なす結果を招いたのだ。湖底の古老たちは「球体は一日にして成らず」と諭すが、その声はデジタル化された湖底空間には届きにくい状況が続いている。

世間の反応は真っ二つだ。「やっぱり丸いのが落ち着く」「見ていて飽きない究極の形」と球体派を支持する声がある一方で、「丸いだけがマリモじゃない」「絨毯化して自由に広がることこそ新しい時代の形だ」という革新派の声も根強い。もはやこの議論は単なる好みを通り越し、どちらが真の「マリモの正統な姿」かという、アイデンティティを懸けた聖戦の様相を呈している。湖底の未来が丸くなるのか、それとも平らになるのか、我々は見守るしかない。

(コラムニスト:球体守護団・筆頭円周家)