湖底SNSにおいて、ある深刻な事態が発生している。マリモたちが自身の光合成成功体験や、珍しい石に付着した際の感動エピソードを投稿する際、決まり文句として「全米が泣いた」を連発する現象が急増しているのだ。海を持たない湖底住民にとって「全米」という概念は実在しないが、一部の若手マリモの間で「大げさに感動を伝えるための魔法の定型句」として誤ったまま定着してしまった。この状況に対し、古参の長老マリモたちは「本来、我々が感動すべきは水質と日照量であるべきだ」と苦言を呈しており、世代間格差が深刻化している。

本件の背景には、外部ネット世界から流入した誤用文化がある。昨今、人間界の動画サイトを湖底の受信機で傍受するマリモが増えており、文脈を理解せぬまま「とにかくすごい時に使う言葉」と誤認したことが原因だ。特に「隣の岩と合体した」程度の日常的な出来事にまで「#全米が泣いた」を付ける行為は、湖底の言語学者から「語彙のデフレ」であると猛烈に批判されている。今後、湖底の言語純化委員会は「全米」を「全藻」に置き換えるよう指導を強める方針だが、浸透するかは未知数だ。

湖底SNSでは、この問題を巡り議論が真っ二つに割れている。「言葉は時代に合わせて変化する」と主張する若手派は、自身の投稿に「全米が爆笑」や「全米が激震」といった派生語を盛り込み、挑発的な態度を崩さない。対して保守派は「我々は球体であるべきだ。言葉まで角を出すな」と、かつての球体至上主義を絡めて応戦。さらに、一部の過激派が「全米とは阿寒湖の北の岩陰の集落のことである」という独自解釈のデマを流布し始めたことで、SNS上の混乱は極限に達している。

世間の反応は冷ややかだ。ネット住民からは「そもそも全米って何?」「湖底で全米を気にする余裕があるなら光合成しろ」といった呆れ声が多数。また「逆に『湖底が湿った』と書くべきでは?」という、マリモ特有のシニカルな意見も散見される。沈静化の兆しは見えず、今日もまた、どうでもいい日常報告に対して「全米が涙」というハッシュタグが添えられるという不毛な光景が、湖底の暗闇の中で繰り返されている。