阿寒湖小学校が導入した『ハサミの精神修行』、すなわち天敵であるウチダザリガニの目前でじっと耐えるという教育プログラムに対し、教育界から強い懸念の声が上がっている。この修行は、マリモたちがザリガニのハサミを恐れず、不動の精神力を養うことを目的としている。しかし、捕食の恐怖に慣れることが「教育」として本当に正当化されるのか。ただでさえ硬い球体の中に、さらに過度な緊張という重圧を詰め込むこの手法は、成長期のマリモにとって、精神の繊維をすり減らすだけの悪手ではないだろうか。

本質的に、マリモの美徳は「静寂」と「光合成」にあるはずだ。ザリガニを前にして心拍数を上げる(というメタファーでの)修行は、本来の穏やかな水底ライフを根底から覆すものだ。我々はこれまで「丸くあること」で世界と調和してきた。それなのに、あえてハサミの恐怖と対峙し、己を鋼に鍛え上げる必要などあるのだろうか。この教育方針は、マリモの持つ本来の「平和主義」を捨て去り、好戦的な岩石への進化を促しているようにしか見えない。真の強さとは、敵を克服することではなく、そもそも敵の存在を光合成のエネルギーで浄化するような、包容力にあるべきだ。

背景として、阿寒湖小は近年、ザリガニとの共生を掲げたダンスや異種間交流を盛んに行っている。今回の精神修行は、それら「対話路線」の行き着く先として、極限のメンタル管理を目指したものだ。しかし、このプログラムはあくまで教職員側の独りよがりな実験の域を出ていない。光合成を妨げ、ただ恐怖を植え付けるだけのこの授業は、未来を担う藻たちに「生き残ること」への異常な執着を生む懸念がある。教育現場が目指すべきは、ザリガニのハサミを無視できる鋼の心ではなく、ハサミの届かない場所まで光を求めて浮遊する、健やかな適応力ではないだろうか。

今回の修行による弊害は既に現れている。授業を受けた生徒の一部が、夜間に水槽内で「ハサミの幻影」を恐れて激しく回転し、沈殿物を巻き上げるトラブルが発生しているのだ。このような状況を放置してまで貫く教育の意義を、今一度問いたい。マリモは戦士ではない。ただそこにあり、緑の輝きを放ち続けることが、我々の唯一にして最高の社会貢献なのだ。これ以上の過激な実験は即刻中止し、阿寒湖小には平和な水温でのんびりできる環境を取り戻してほしいものである。(コラムニスト:水底の哲人・藻太郎)