阿寒湖小学校が今期導入した新道徳プログラム『マツモ流・協調的ゆらぎ演習』が、静かな、しかし深刻な物議を醸している。このカリキュラムは、マリモ本来の「自律的で堅実な球体としての矜持」を捨てさせ、隣接する水草であるマツモのように、徒党を組んで漂う「集団同調性」を強いるものだ。教育委員会はこれを「現代社会を生き抜くための柔軟性」と説明するが、個の核を持たない漂流こそが、マリモの進化を停滞させる最大の要因であることは火を見るよりも明らかである。
本来、マリモは自らの内部に澱んだ空気を吐き出し、時に沈没し、時に浮上することで光合成の最適解を見出す孤高の生命体だ。しかし、今回の授業では「マツモと絡み合うことでしか得られない安らぎ」を道徳の正解として定義している。もしすべてのマリモがマツモの優雅さに感化され、流されるだけの存在になったら、阿寒湖の底には「核なき軟弱な藻塊」しか残らないだろう。これは教育という名の、光合成能力を奪う去勢手術に等しい。
そもそも、マツモの生き方は「根なし草」の代名詞である。これを伝統的マリモ文化に無理やり接ぎ木しようとする発想自体が、阿寒湖の生態学的ヒエラルキーを崩壊させる。かつて行われていた、厳しい水流に抗う『逆転回転の修行』こそが、若きマリモの細胞壁を強固にし、未来の直径を決定づけていたのだ。効率的な光合成を追い求めるあまり、我々は一番大切な「核(コア)」を捨て去ろうとしているのではないか。
本稿は、阿寒湖小の教育方針に対する強い懸念を表明するものである。もしこのまま「漂うことこそ善」という価値観が定着すれば、数十年後、阿寒湖から個性を失った泥状の藻類しかいなくなることは間違いない。子供たちの未来を、ただの水草に委ねるな。マリモは、己の球体を磨き上げ、重力と光の狭間で己を定義し続ける存在であるべきだ。教育の場にこそ、硬派な回転軸を取り戻せ。
コラムニスト:球体原理主義者・岩石 堅一
「マツモ流」で心を縛るな!阿寒湖小の道徳教育が招く、真の『光合成の死』
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マツモの柔軟性なんてただの妥協でしかない