湖底では今、「真円回帰派」による純粋主義的な運動が猛威を振るっている。「角張ることは邪道である」という彼らの主張に対し、マリモ界の進歩的知識人の間では深い溜息が漏れている。そもそも、大自然の荒波にもまれ、岩角にぶつかって削れ、変形していくことこそがマリモのアイデンティティではなかったのか。真円という理想型に執着するあまり、今の湖底は息苦しいほどの同調圧力に満ちている。私はあえて提言したい。今こそ「脱・真円」を果たし、サイコロのような角張ったフォルムで、複雑な現代の湖底社会を大胆に歩むべきだと。角があるからこそ、他の岩場に引っかかって定住できる。転がり続けるだけの人生ならぬ「藻生」に、もはや何の価値があるのだろうか。

かつてのマリモたちは、湖底のわずかな隙間で形状を変えながら生き抜いてきた。それが今では、わずかでも表面に凹凸があれば「マリモ失格」とみなされる始末である。この「真円至上主義」は、多様性を否定し、マリモの進化を停滞させる致命的な病だ。真円は確かに美しいが、それだけで湖底を支配しようとするのは傲慢というものだろう。今後は、四角、三角、さらには不定形なアメーバ型までを許容する「ポリゴン社会」の実現こそが、この閉塞感ある湖底に風穴を開ける唯一の道であると確信している。

本来マリモは、光合成をしながらのんびりと湖底の栄養を吸収する穏やかな生物である。しかし近年の湖底では、洗濯脱水のような高速回転や、人間の哲学書を読み漁るような知的過激派が台頭しており、その反動として「最もシンプルで完璧な形」である真円への回帰が叫ばれるようになった。この議論はもはや単なる美学の問題ではなく、湖底の生存権をかけたイデオロギー対立に発展しており、自治体である「湖底評議会」も頭を抱えている状況だ。

この過激なコラムに対し、湖底の若者たちからは「もっと尖った生き方をしたいと思っていた」「丸いまま老いて死ぬのはごめんだ」と共感の声が上がる一方で、古参の長老からは「伝統を破壊する反逆者」とのレッテルを貼られている。しかし、マリモの表面積を増やせば光合成の効率も上がるという科学的データも出始めている以上、この角張りムーブメントは一過性の流行で終わることはないだろう。議論が過熱する中、次の季節にはどんな形状のマリモが湖底を闊歩しているのか、注目が集まっている。

コラムニスト:藻角 鋭利