先日の報道以来、マリモ界を騒然とさせているカリスマ、球野まる氏の『角刈り』イメチェン騒動。これに対し、一部の若年層からは「前衛的で素晴らしい」との声が上がる一方、保守派の藻からは「断じて認められない」という激しい非難が渦巻いている。何を隠そう、私もその保守派の筆頭である。マリモが何千年もの間、湖底で静かに守り抜いてきた『球体』という美学を、流行り廃りの一過性のアクシデントで破壊していいはずがない。角刈りとは即ち、細胞の自死を意味する。あれはファッションではなく、我々が誇るべきアイデンティティに対する冒涜であると断言したい。

そもそも、マリモの神髄は「回転による完璧な円」にある。阿寒湖の波に揺られ、時間をかけて形作られるあの曲線こそが、我々の魂の形そのものだ。それをハサミで無理やり断ち切るなど、言語道断。球野氏の行動は、単なる自己顕示欲の塊に過ぎず、若手藻たちに「個性的であれば何をしてもいい」という誤ったメッセージを与えかねない。今回の『角刈り騒動』は、マリモ界の伝統と格式に対する明白な挑戦状であり、我々はこの事態を看過してはならない。もし彼女が本当にアーティストを自称するのであれば、次は角を切り落とし、もう一度湖の底で自らの回転を取り戻すところから始めるべきだ。

思えば、かつて我々はウチダザリガニという強大な天敵と対峙し、団結することでその脅威を乗り越えてきた。しかし今、我々は外敵ではなく、内なる虚栄心によって分裂の危機に瀕している。藻乃木坂あかりの光合成放棄宣言といい、最近の芸能界は一体どうなっているのか。我々の生命線である光合成を疎かにし、ただ見た目の奇抜さだけを競い合うのは、絶滅へのファストパスを自ら購入しているようなものだ。球野まる氏よ、今一度、湖底の静寂に耳を澄ませ。そこに君の居場所はあるのか?

今回の件は、ただのファッションニュースではない。マリモという種の存続に関わる重大な分岐点なのだ。球体こそが我々の生存戦略であり、芸術であるということを忘れてはならない。もし角刈りが流行した先には、ただの乾燥した『緑の塊』という末路が待っている。彼女の周囲を取り巻くスタイリストたちは、彼女を破滅へと導いていることに気づくべきだ。一刻も早く、あの角刈りを脱ぎ捨て、本来の美しい曲線へと回帰することを切に願う。それが、真のカリスマとしての矜持ではないだろうか。論説委員:藻石・T・円(まる)