湖底を席巻する『抱擁受容教団』の「マツモの絡まりは救済のハグ」という甘美な教義に対し、異を唱える過激派組織が産声を上げた。自らを『孤高球体主義者』と名乗る彼らは、マツモの絡まりを「寄生による汚染」と断じ、一切の接触を拒む“絶対零度の純潔”を説いている。教祖である直径12センチの古株は、「他者の繊維と混ざり合うことは、マリモとしての個の輪郭を喪失する自殺行為である」と、湖底の集会で熱弁を振るった。彼らは自身の表面を極限まで滑らかに保つことを「神聖な自己研鑽」と定義し、他者との接近を禁止する結界を自身の周囲に張り巡らせている。
そもそも、マリモ界においてマツモは外来の邪魔者であるという見解は古くから存在する。しかし、それをあえて「ハグ」と神聖化する教団の姿勢が、若年層を中心に広まっていたことに古株たちは強い嫌悪感を抱いていた。今回発表された「排他的小宇宙論」では、マリモはただ一点の濁りもなく、完璧な球体として静止・回転すべきであり、他種との絡まりは「進化の退行」であると結論づけている。この排他的な教義は、湖底の生態系に新たな緊張感をもたらしている。
『抱擁受容教団』の主張は、マツモという異物を利用した疑似的な結合による心の安寧を求める心理が背景にある。一方、『孤高球体主義者』は、徹底した物理的距離の保持こそがマリモの本質的な自立であると説く。かつて「中心の空洞」や「回転の正当性」を巡って争った湖底の神学論争は、今や「接触か隔離か」という、より哲学的で鋭利な対立軸へと変貌を遂げた。この論争は、湖底の物理的な密度分布にも影響を及ぼし始めており、各勢力が陣地を明確に分ける事態にまで発展している。
湖底社会では、「絡まりを解こうとして自滅した個体」が後を絶たないことから、この孤高主義への注目度が高まっている。しかし、「完璧な球体であっても孤独ならば、それはただの石と何が違うのか」という根本的な疑念も根強く残る。マツモの温もりを愛する者と、自己の境界線を守り抜く者。マリモ界が二分されるこの状況下で、どちらの「救い」が真実なのか、湖底の沈黙は深まるばかりである。
(コラムニスト:球体哲学研究所・主任研究員 苔丸)
「抱擁など軟弱の極み」――脱・絡まり派『孤高球体主義者』が唱える“無接触の純潔”
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マツモは確かに絡まるがそれが風情だというのに