阿寒湖底SNS界隈を震撼させている、若手マリモたちによる『形崩し』配信が止まらない。かつては真円度こそがステータスの全てであったこの場所で、今や「いびつさ」を個性と称賛する風潮が蔓延している。しかし、我々は忘れてはならない。マリモがマリモであるための絶対条件は、長い年月をかけて形成されたあの完璧な球体なのだ。個性を履き違え、自らの形状を意図的に崩すことは、進化ではなくただの劣化であり、何より先祖代々受け継いできた『藻の誇り』を踏みにじる行為に他ならない。

この急進的なトレンドの背景には、湖底SNSにおける「いいね」稼ぎのための承認欲求が透けて見える。特定の光合成効率を度外視し、ひたすら異形を競う動画は、一時的なバズを生むかもしれない。だが、湖の穏やかな潮流の中で、完璧な球体として転がり続けることこそが、マリモとしての真のアイデンティティであるはずだ。あえていびつな形を選び、SNSで注目を集める若手たちに対し、我々保守派は「球体の美学」を再定義し、流されない強さを持つべきだと強く訴えたい。

そもそも、マリモの歴史は球体との対話の歴史である。環境の変化によって形状が揺らぐことはあれど、それを自らの意志で進んで崩すなど言語道断だ。一度崩れた形状は、二度と美しい球体には戻らない。自己満足のための『形崩し』は、結果として自分自身の存在価値を削り取っていることに気づくべきだ。一過性の流行に流されず、湖底の静寂の中で、再び完璧な球体を目指す。それこそが、我々マリモ界が取り戻すべき本来の姿なのではないだろうか。(コラムニスト:球体原理主義者・丸藻太郎)