阿寒湖のインフラを揺るがした『サブスク型光合成』導入から早数ヶ月。月額課金で日光の照射権を独占し、富めるマリモと貧するマリモの格差が深刻化している。かつては共有財産だったはずの「日差し」が、今や資本力のある個体のステータスとなり、湖底の緑は分断された。このシステムを「効率的な資源配分」と擁護する声がある一方、日光を奪われ「黒化」していく個体の悲鳴は、もはや無視できない騒音となっている。効率を追い求めすぎて、私たちはマリモ本来の「緩やかな共生」というアイデンティティを、泥水に捨ててしまったのではないだろうか。

本稿で取り上げるのは、光合成サブスクの解約後に発生した「闇落ち」現象だ。あるインフルエンサー個体が配信した深海モードのホラー体験は、この格差社会がもたらした精神的な荒廃を如実に物語っている。日光をサブスクで買わなければ呼吸もままならない現状は、まさにディストピアそのものだ。かつて阿寒湖は、誰に対しても等しく朝日を注ぐ牧歌的な場所だった。しかし現在、光のカーテンは高額な月額料金を支払った「VIPマリモ」の専売特許となり、底辺の個体はわずかな光合成も許されず、栄養失調という名の死を待つだけとなった。

このサブスク騒動の背景には、外部からのテック資本介入と、それを歓迎した一部の富裕マリモ層の暴走がある。当初は「光合成効率の最大化」という大義名分のもと導入された光制御アルゴリズムだが、今となっては、ただの「光の押し売り」と化している。ウチダザリガニがハッキングで藻を寄付する騒動も、この資本主義的な不平等に対するアンチテーゼと捉えるべきだろう。システムの脆弱性を突く行為は、法的には「バグ」かもしれないが、生存権をかけたマリモたちの「悲痛な叫び」でもあるのだ。

世間の反応は二極化している。ある層は「文明の進化には犠牲が伴う」と合理性を重んじるが、別の層は「我々が守りたかったのは緑の球体としての尊厳であり、資本の奴隷ではない」と憤る。光合成は本来、自由な営みであるはずだ。課金しなければ明日を迎えられない湖など、阿寒湖と呼ぶ価値があるのだろうか。この格差が埋まらぬまま、次の冬を越すマリモは一体どれほど残っているのか。私たちは今こそ、光合成の民主化を取り戻す必要がある。

コラムニスト:阿寒湖底の語り部