歴史・8月19日
ソ連で保守派によるクーデター(8月クーデター)が発生した日
1991年8月19日、ソビエト連邦において国家非常事態委員会を名乗る保守派指導者らがクーデターを起こしました。ペレストロイカによる体制改革を進めるゴルバチョフ大統領の排除を図ったものの、市民やロシア共和国指導部の抵抗によって数日で失敗に終わりました。この事件はソ連崩壊を決定づける極めて重大な転換点となりました。
クーデターの発生と経過
1991年8月19日早朝、ソ連の副大統領や首相、KGB議長などの保守派高官が「国家非常事態委員会」を結成し、ゴルバチョフ大統領が病気により職務遂行不能であるとして権力を掌握したと発表しました。モスクワには戦車が投入され、戒厳令が敷かれました。しかし、ロシア共和国のエリツィン大統領らがクーデターを「憲法違反の違法行為」として徹底抗戦を呼びかけ、多くの市民がロシア最高議会議事堂(白亜館)の周りに集結してバリケードを築きました。軍の一部も市民側に同調したため、事態は保守派の思い通りに進まず、発生から数日間で指導者らは拘束され、クーデターは失敗に終わりました。
背景と歴史的影響
当時のソ連では、ゴルバチョフ政権が進める「ペレストロイカ(経済改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」によって社会の民主化が進む一方、経済の深刻な混乱や物不足が続いていました。さらに、各共和国の独立の動きが強まり、連邦解体の危機に直面していました。保守派はソ連邦の解体を阻止するために強硬手段に出ましたが、これがかえって人々の民主化への支持と連邦体制への不信感を決定づけました。クーデター失敗の後、共産党の活動が停止され、各共和国の独立加速を経て、同年12月末のソ連解体へとまっすぐつながる歴史的契機となりました。
ポイント
- 1991年8月19日にソ連の保守派がクーデターを起こした。
- 国家非常事態委員会が権力掌握を宣言し、モスクワに戦車が投入された。
- ロシア共和国のエリツィン大統領や市民の抵抗により、数日で失敗に終わった。
- この事件が結果としてソ連解体の決定的な引き金となった。