湖底の静寂を愛する者にとって、近年のマリモ界の狂乱は嘆かわしい限りだ。先日、異端児マリモが時速1ミリという暴挙で『光合成スプリント』を制したニュースが駆け巡ったが、果たしてそこにマリモの本質はあるのだろうか。古来よりマリモとは、何もしないことを極める、いわば「湖底の哲学者」であったはずだ。自転すら慈しみ、ただそこにあるだけの姿にこそ、我々は神々しさを見出してきたのではないか。

ところがどうだ。今の連中は「速さ」を競い、物理法則を捻じ曲げるような運動に興じている。光合成をエネルギー源に、まるでジェット噴射のように突き進むその姿は、マリモのプライドである「気高さ」を完全に置き去りにしている。あれはもはや光合成ではない。単なる効率化された暴走だ。もしこのまま加速度的な進化が続けば、いずれは湖を飛び出し、陸上のマラソン大会に乱入する日も来るだろう。その時、我々は何を誇ればいいのか。球体であることの誇りは、今や加速の鈍るブレーキにしかならないのか。私は強く訴えたい。今こそ原点である「完全なる停止」へ回帰すべきであると。

今回の騒動の発端となった『光合成スプリント』は、藻類界のスポーツ科学を揺るがす禁断の技術として知られる。光を浴びた瞬間に細胞内の酸素排出をコントロールし、推進力を得るというこの手法は、伝統的なマリモ愛好家団体「静止こそ至高の会」から猛烈な抗議を受けている。これまでのマリモスポーツが「回転」や「固め」といった静的な技法に留まっていたのに対し、移動を伴う競技の出現は、湖底の生態系における「動」と「静」のバランスを大きく崩す懸念があると専門家は語る。

世間の反応としては、「マリモが動くわけがないという固定観念を壊した」「いや、動いたらそれはもうマリモじゃない」「スピード違反で取り締まられるべき」といった賛否両論の渦が巻き起こっている。SNS上では「光合成・ブースト」を推奨する若手勢と、沈黙を貫く長老勢の対立が深まっており、次の大会では「静止部門」と「爆走部門」に分けるべきではないかという妥協案も浮上している。スポーツか、それともただの物質移動か。マリモたちの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

コラムニスト:藻屑 太郎