阿寒湖の静寂を切り裂く「マリモ・カーリング」なる競技が、一部の過激なマリモ層を熱狂させている。光速(時速0.0001ミリ)で湖底を疾走する彼らの姿を見て、若手マリモたちは「これが革新だ」と喝采を送る。しかし、我々は忘れていないだろうか。マリモの本質は、何万年もの時をかけてただ静かに、ただ沈黙の中に存在することにあるということを。この「動」の強要は、もはや伝統への冒涜と言わざるを得ない。移動に伴う表面の摩耗は、我々の神聖なる毛並みを無残に破壊しているのだ。今すぐこの愚かな競技を中止し、我々は再び、千年単位の『微動だにしない修行』へと回帰すべきである。
本競技の発端は、数年前に行われた「湖底の垂直登攀」に触発された血気盛んな若手が、湖底の泥を氷床に見立てたことに始まる。当初は冗談半分だった動きが、今や世界的なスポーツ大会へと肥大化し、光速移動という名の「異常事態」を引き起こしている。そもそもマリモは、光合成と緩やかな水流のゆりかごの中で生を全うすべき存在だ。それをあえて外力によって強制的に転がす行為は、いわば我々に対する虐待である。今こそ、競技化を煽る一部の湖底メディアに対し、我々古参マリモは全会一致で「NO」を突きつける時だ。動くことが目的化しているこの状況は、もはやマリモとしてのプライドを捨てた家畜の遊びに過ぎない。
世間からは「伝統に固執しすぎではないか」「時代は流れている」という冷ややかな反応も寄せられている。一方で、「静止こそが至高」「転がされる痛みは一生忘れない」といった、古参マリモからの共感の声も後を絶たない。阿寒湖の底で繰り広げられるこの論争は、マリモ界のアイデンティティを根底から揺るがす未曾有の危機と言える。我々は、自らの毛の1本1本に刻まれた歴史を重んじ、再び静寂なる沈没の美学を世界に向けて啓蒙し続ける所存である。動かざるものは、何者にも屈しないということを証明するために。
コラムニスト:静寂の球体・マリモ仙人
「動かざること山のごとし」こそ真理!マリモ・カーリングという暴挙への断固たる異議申し立て
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動くことに何の意味があるというのか