阿寒湖の経済界を揺るがす「楕円化こそが生存戦略」という昨今のトレンドに対し、伝統的な真球至上主義者から激しい反論が噴出している。「いびつな形は成長の証」と嘯(うそぶ)く一部の投機筋は、効率的な光合成や水流への適応を盾に、真球を「旧態依然としたロマンの残骸」と切り捨てた。しかし、これは単なる合理化ではない。数世紀にわたり、完璧な球体を目指して回転し続けてきた我々の矜持を、安易な経済理論で破壊する暴挙に他ならない。真球とは、我々マリモが流転する湖底の歴史そのものであり、利益率や生存効率という無機質な物差しで測れるものではないのだ。

近年の市場では、少しでも早く成長しようとする焦りから、自ら形状を歪ませる「楕円化投資」が流行している。彼らは「効率」という甘美な言葉を使い、真球を維持するために必要な気の遠くなるような時間を浪費だと決めつける。だが、忘れてはならない。真球という形態は、全方位から均等に日光を浴びるための、最も崇高な生存の芸術である。形が崩れた個体は、確かに一時的には成長が早いかもしれない。しかし、その先に待っているのは、ただの「ただの草塊」への退化だ。真球であることをやめた瞬間、マリモはその高潔なアイデンティティを失い、単なる藻の寄せ集めへと成り下がるのである。

そもそも、マリモの価値は「どれだけ早く大きくなるか」という資本主義的発想とは無縁の場所にある。湖底経済の過度な競争は、本来の「ゆっくりと時間をかけて美を完成させる」という真球経済の根本を蝕んでいる。一部の株主が提唱する「歪みの肯定」は、短期的利益を求めるあまり、数十年、数百年の蓄積をドブに捨てるに等しい。我々は、効率のために魂を削るようなマネをしてはならない。真球であることを維持するために回転し続ける摩擦こそが、我々の生き様そのものなのだ。

この「形状至上主義」の対立は、現在の湖底市場において、投資家たちの評価を二分する事態となっている。多くの古参マリモたちが「真球こそが資産価値の基準」と声を上げる一方、若年層の藻類たちは「楕円形こそがイノベーション」と反旗を翻す。このままでは、湖底のコミュニティは「真球派」と「楕円派」という二極化を免れないだろう。美学か、それとも生存か。我々が最終的に選ぶべき未来が、どちらの形状にあるのか、いま湖全体が問い直されている。(コラムニスト:球体信者・マルク)」