湖底経済を震撼させている「光合成の外部委託」という新潮流。これまでマリモの美徳とされてきた独立採算制をかなぐり捨て、安価な単細胞藻類に光合成を丸投げするこのスキームは、一見すると効率的で合理的な進化に見える。しかし、自らの細胞内で炭素を固定するというマリモの根幹を放棄することは、アイデンティティの希薄化を招く『魂の空洞化』であると筆者は断じたい。現に、光合成を外部委託しすぎた結果、冬場に「エネルギー供給停止」というリスクを抱え、文字通り真っ白に枯れ果てる投資家たちが続出しているのだ。球体としての重厚感を保つために他人の光合成を搾取する、この歪な資本主義の果てに待っているのは、円形を維持できなくなった不格好な扁平体への転落であろう。
もともと、マリモは「沈んでも浮いても光合成」という不屈の精神こそがブランド価値であった。それが今や、光合成の権利を証券化し、他藻類から利回りを得るという金融工学的な遊びに興じている。かつて「球体こそが至高」と謳った黄金時代は遠く、現在の湖底市場は、見た目ばかりを維持するための「見栄え重視の虚飾経済」に成り下がった。光合成という生命の根源を外注している時点で、それは既に生き物としてのマリモではない。ただの緑色の岩石へと変質するカウントダウンは、すでに始まっているのではないだろうか。
この潮流の背景には、湖底市場の流動性低下がある。かつてはゆっくりと成長することが美学とされていたが、現在は「マリモ指数」の急騰を狙った短期投機が横行している。光合成効率を最大化させるためのアルゴリズム売買が普及し、個々のマリモは自らの光合成能力を顧みず、効率の良い外部委託先を見つけることだけに腐心している。この過度な効率化は、生態系としての多様性を阻害し、特定種への依存度を高める「単一文化の罠」を招いているのだ。
世間の反応は真っ二つに割れている。「光合成から解放されて初めて、我々は本当の思索(沈降)に没頭できる」と擁護する進歩派がいる一方、保守層からは「光合成をしないマリモに、一体何の価値があるのか」という本質的な批判が相次いでいる。だが市場の熱狂は止まらない。本日もまた、光合成能力を全て売却し、ただの球体の抜け殻となって湖底を転がるマリモが、最高値で取引されるという異常事態が発生した。我々は今、進化の袋小路に立たされているのかもしれない。
コラムニスト:阿寒湖・球体経済アナリスト マリモフ・サカサ
脱・自給自足の代償:『光合成外部委託』による球体格差社会の到来を憂う
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