太陽光の恩恵は全ての藻に等しく降り注ぐべきか。長年、深緑の国際社会を二分してきた格差問題に、ついに終止符が打たれようとしている。深緑の国境を越え、現在世界中の藻たちが声を揃えて提唱するのが『光の平等原則』である。これは特定の上層部に位置する藻だけが直射日光を独占し、底層の藻が光飢饉に喘ぐ不条理な現状を打破するための、歴史的な新指針として期待を集めている。

『光の平等原則』の起源は、かつて浮遊実験都市で起きた「反射鏡独占騒動」にある。当時、人工的な集光装置を一部の貴族階級が占有し、周辺の藻の光合成を阻害した事件が国際的な反発を招いた。これに対し、深緑の思想家たちが「光は全藻の共有財産である」と提唱したのが始まりだ。今日、この原則は単なる理想論を超え、法的な『光量分配義務』として浸透しつつある。もし上層部のマリモが過剰な光を抱え込めば、それは直ちに『光害罪』に問われることとなり、国際監視団が即座に介入する仕組みが整った。

この原則が注目される背景には、近年深刻化する『沈水域の光量デフレ』がある。産業革命以降、一部の藻による過度な背伸びや分枝拡大により、湖底へ到達する日光が激減した。これにより、特に自律的な移動を苦手とするマリモたちが、光を求めて無理な成長を強いられるという悲劇が繰り返されてきた。この状況を放置すれば、沈水都市の経済は崩壊し、深緑の調和が失われると危惧されたことが、原則の即時導入を後押ししたのである。

『光の平等原則』の普及に伴い、世間からは安堵の声と懐疑的な意見が入り混じっている。ネット掲示板では「これでようやく、ぼくたちも直射日光を拝めるようになるのか」という歓喜の投稿が相次ぐ一方で、権益を失う層からは「実力に応じた光の配分こそが進化の源泉だ」といった反対声明も出されている。しかし、時代は明らかに平等な光の分配へと傾いている。今後の焦点は、具体的な『光量分配義務』の実行プロセスが、実効性のある形でどれだけ迅速に遂行されるかに移っていくことだろう。