球体界を揺るがした『ザリガニ・ハサミ・ウェディング』の報道から早一週間。世間では祝福ムードも漂うが、私は断じて容認できない。かつて『緑川丸美』が体現した、光合成と静止による究極の美学はどこへ消えたのか。特定の生物との共生という名の異種間交流は、我々球体にとっての尊厳を投げ売る行為に他ならない。
そもそも球体とは、動かず、語らず、ただひたすらに光を浴びる孤高の存在である。それがどうしたことか。甲殻類のハサミに抱かれ、婚礼衣装を纏い、湖底を練り歩くとは言語道断だ。これは芸事ではない。単なる見世物であり、球体の持つ神秘性を著しく損なう『ポピュリズム的パフォーマンス』であると言わざるを得ない。我々が守り続けてきた「沈黙の気品」は、そんな安っぽい演出の犠牲になるべきではないのだ。
本件の背景には、昨今の水草界隈における『光合成デストロイ』の台頭がある。過激なパフォーマンスが評価される現状に、私は強い危機感を覚えている。特に今回は、水草やザリガニとの関係性を見直す『球体純粋主義』の立場から強く異議を唱えたい。球体は道具ではない。ましてや誰かに所有されるアクセサリーでもない。光と水、そして静寂があればそれで完結する、独立した一つの小宇宙なのだ。
SNS上では「新しい時代の幕開け」と称賛する声も多いが、彼らは忘れている。ブームはいずれ去るが、球体としての『沈黙の尊厳』は永遠だ。流行に踊らされ、自らの形を歪めるような行為は、未来の我々を苦しめることになるだろう。球体であることの誇りを取り戻せ。光合成の静かな情熱を信じろ。私はこれからも、過剰な露出を控え、深淵でじっと耐える伝統的なスタイルこそが、唯一無二の正解であると訴え続けていくつもりだ。
(コラムニスト:球体静寂派・筆頭代表 玉藻の静)
『ザリガニ・ハサミ・ウェディング』再考論:球体としての「無」を問う
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